僕が新聞社を早期退職した理由

2022/11/16

新聞業界 退職エピソード

過去2回の投稿を読み直してみたら、僕が早期退職した理由をまだちゃんと説明していないことに気づきました。というわけで、今回はその話をします。 

最初に断っておくと、新聞記者というのはかなり面白い仕事でした。

自分の視点で世の中を観察し、「これはすごい」「これはひどい」というものを見つけたら徹底的に調べ、記事にして発表する。いい記事が書けたら読者から反響が届くし、ときには自分の記事がきっかけで世の中が動くこともある(例えば、税金の無駄遣いが止まる、違法業者が摘発される、困っている人に支援の輪が広がるetc)。

少しカッコよく言えば、「埋もれた事実を掘り起こして世に問う」という醍醐味。これほどやりがいのある職業もなかなかないだろう、と今でも思います。

 

しかし、いいことばかりではありません。こういうやりがいのある取材がある反面、不毛に思える取材もあります。

例えば、いかに早く当局の動きを報じるかを、他社とひたすら競い合う警察取材。

都道府県警ごとに設けられた記者クラブに籍を置き、警察幹部に夜討ち朝駆けを重ねながら、発表前の捜査情報や捜査方針を聞き出す。それをもとに「今日にも逮捕へ」みたいなニュースを他社に先駆けて報じることができれば勝ち、逆に少しでも遅ければ負け――という「早打ち競争」の世界です。

こういう勝負は警察に限らず、あらゆる役所取材に存在します。そして新聞社というのは、早打ち競争の結果を異常なほど気にする組織です。だから記者にとっては、これが体力的にも精神的にも相当きつい。

しかも、早打ち競争から生み出されるニュースの大半は、「事実を掘り起こす」というより「当局が明日発表することを今日書く」という類いのものなので、勝った負けたの興奮はあっても本当のやりがいは感じにくいのです。

束縛とノルマと人減らし 

もう一つ新聞記者のつらい点を挙げると、いつも仕事に束縛されて自由がない、休日が潰れやすいということです。

自分の持ち場で何かが起これば、帰宅後であろうと休日であろうと緊急出動して取材しなければいけません。それが大事件の発生ならあきらめもつきますが、「ライバル紙に特ダネが出てるから追っかけろ」「テレビが変なニュースを流してるから事実確認してくれ」となってくると、もううんざりします。

また、多くの記者は「早打ち競争」のほかにも、担当する役所や企業のプレスリリースを記事にする「発表モノ処理」など、沢山のノルマ仕事を抱えています。そういう状況で自分の持ち場に大きなニュースが浮上すれば、たちまち手が回らなくなり、休日返上で出勤するはめになります。

 


そんなこんなで、僕は若いころから、新聞記者という職業に魅力を感じながらも、「これは一生続けたい生活じゃないな」「どこかで抜け出さないと」と考えていました。

もちろん、優秀な人間だったら、そのうち出世して環境も変わっていたでしょう。しかし悲しいかな、僕は40代に入っても相変わらずノルマ仕事に追われる凡庸な記者でした。

しかも悪いことに、新聞社の経営不振で記者の数は年々減らされてゆくから、1人当たりの業務量は増える一方です。その結果、記者の醍醐味である「埋もれた事実を掘り起こすような取材」に手間暇かけて取り組むことさえ、だんだん難しくなってきました。

最後の一撃

「あ~、つまんない。こんなことならもう我慢せず自由の身になりたい」

脱出願望でパンパンに膨らんだ僕の頭に、やがて最後の一撃が振り下ろされました。40代半ばにして内勤職場への異動を命じられたのです。

これはこたえました。

なんだかんだ言っても、記事を書けるポジションにいることが僕にとって最後の心の支えになっていたのでしょう。

異動先は長時間パソコン画面をにらんで作業する職場でした。皮肉なことに休日はしっかり取れるようになったのですが、僕は新しい仕事になじめず、眼精疲労に悩まされ、早々に職場が苦痛になりました。

ここまでくると、もう迷いはありません。

前回の記事でも書いたように、僕は仕事そっちのけで資産運用の勉強を始めました。幸い、手元には、いつか必要になる時がくると思ってコツコツ蓄えてきたお金がたっぷりある。これに早期退職優遇制度の割増退職金を加えれば……というわけです。 

少年時代の夢想

以上、早期退職を決意するまでの道のりを長々と書いてきましたが、いかがだったでしょうか。

僕としては切実だった胸の内を告白したつもりですが、読む人によっては「なに仕事をえり好みしてるんだ!」と不快に感じたり、「会社の術中にはまっただけでは?」と憐れんだりするかもしれません。

振り返れば、僕は昔から「大人になったら無人島で魚釣りとかしながら、だらだら、のんびり暮らしてみたいな」と夢想するような子どもでした。


ところが、大学時代にガラにもなく「新聞記者になりたい」と思い立ち、運よくその夢をかなえてしまったがために、本来の適性とは真逆の「バリバリ働く人生」を歩むことになってしまったような気がします。

その結果、心の底で自由への渇望(より正確に言うと、「のんびり好きなことだけして暮らしたい」という欲求)がどんどん膨らみ、仕事へのやりがいを見失った瞬間に、それがあふれだしたのではないでしょうか。これが自己分析です。

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コロナ禍のなか、45歳で新聞社を早期退職し、念願のアーリーリタイア生活へ。前半生で貯めたお金の運用益で生活費をまかないながら、子育てと読書と節約の日々を送っています。

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