よく考えてみたら、僕が40代半ばで新聞社を早期退職した理由をこのブログでまだちゃんと説明していないことに気づきました。というわけで、今回はその話をします。
記者は面白い仕事だったけど
最初に断っておくと、新聞記者というのは僕にとってかなり面白い仕事でした。
自分の視点で世の中を観察し、「これはすごい」「これはひどい」というものを見つけたら、当事者に会いに行って徹底的に事実関係を調べ、記事にして紙面で発表する。
いい記事が書けたら読者から反響が届くし、ときには自分の記事がきっかけで世の中が動くこともある。
(例えば、税金の無駄遣いが止まる、違法業者が摘発される、困っている人に支援の輪が広がる etc )
少しカッコよく言えば、「埋もれた事実を掘り起こして世に問う」という醍醐味。これほど面白くてやりがいのある職業もなかなかないだろう、と今でも思っています。
しかし、いいことばかりではありません。こういうやりがいのある取材がある反面、不毛に思える取材もあります。
例えば、いかに早く当局の動きを報じるかを、他社とひたすら競い合う警察取材。
都道府県警ごとに設けられた記者クラブに籍を置き、警察幹部に夜討ち朝駆けを重ねながら、発表前の捜査情報や捜査方針を聞き出す。それをもとに「今日にも逮捕へ」みたいなニュースを他社に先駆けて報じることができれば勝ち、逆に少しでも遅ければ負け――という「早打ち競争」の世界です。
この種の競争は警察に限らず、多くの役所取材や企業取材に存在します。そして新聞社というのは、早打ち競争の勝敗を異常なほど気にする組織です。
だから記者にとっては、これが体力的にも精神的にも相当きつい。
しかも、早打ち競争から生み出されるニュースの大半は、「埋もれた事実を掘り起こす」というより「当局が明日発表することを今日書く」という類いのものなので、勝った負けたの一時的な興奮はあっても本物のやりがいは感じにくいのです。
束縛とノルマと人減らし
もう一つ新聞記者のつらい点を挙げると、いつも仕事に束縛されて自由がない、休日が潰れやすいということです。
自分の持ち場で何かが起これば、休日であろうと深夜であろうと緊急出動して取材しなければいけません。
それが大事件の発生ならあきらめもつきますが、「ライバル紙に特ダネが出てるから取材して追っかけろ」「NHKが変なニュースを流してるから事実確認してくれ」となってくると、もううんざりします。
また、多くの記者は「早打ち競争」のほかにも、担当する役所や企業のプレスリリースを記事にする「発表モノ処理」など、沢山のノルマ仕事を抱えています。そういう状況で自分の持ち場に大きなニュースが浮上すれば、たちまち手が回らなくなり、休日返上で出勤するはめになります。
そんなこんなで、僕は若いころから新聞記者という職業に魅力を感じながらも、「これは一生続けたい生活じゃないな」「どこかで抜け出さないと」と考えていました。
もちろん、僕が優秀な人間だったら、そのうち出世して環境も変わっていたでしょう。しかし悲しいかな、僕は40代に入っても相変わらずノルマ仕事に追われる凡庸な記者でした。
しかも悪いことに、新聞社の経営不振で記者の数は年々減らされてゆくから、1人当たりの仕事量は増える一方です。
その結果、記者の醍醐味である「埋もれた事実を掘り起こすような取材」に手間暇かけて取り組むことさえ、だんだん難しくなってきました。
最後の一撃
「あ~、しんどいだけでつまんない。こんなことならもう我慢せず、自由の身になりたいよ」
脱出願望でパンパンに膨らんだ僕の頭に、やがて最後の一撃が振り下ろされました。
40代半ばにして内勤職場への異動を命じられたのです。
これはこたえました。
なんだかんだ言っても、記事を書けるポジションにいることが僕にとって最後の心の拠り所になっていたのでしょう。
異動先は長時間パソコン画面とにらめっこしながら作業する職場でした。皮肉なことに休日はしっかり取れるようになったのですが、僕は新しい仕事になじめず、眼精疲労に悩まされ、早々に職場が苦痛になりました。
ここまでくると、もう迷いはありません。
前回の記事でも書いたように、僕は仕事そっちのけで資産運用の勉強を始めました。
幸い、手元には、いつか必要になる時がくるかもと思って蓄えてきたお金がたっぷりある。これに早期退職優遇の割増退職金を加えれば……というわけです。
少年時代の夢想
以上、早期退職を決意するまでの道のりを長々と書いてきましたが、いかがだったでしょうか。
僕としてはかなり切実だった胸の内を告白したつもりですが、読む人によっては「なに仕事をえり好みしてるんだ!」と不快に感じたり、「リストラを進めたい会社の術中にはまっただけじゃん」と憐れんだりするかもしれません。
正直、おっしゃる通りだと思います。
振り返れば、僕は昔から「大人になったら無人島で魚釣りとかしながら、だらだら、のんびり暮らしてみたいな」と夢想するような子どもでした。
その結果、心の底で自由への渇望(より正確に言うと、「のんびり好きなことだけして暮らしたい」という欲求)がどんどん膨れあがり、仕事へのやりがいを見失った瞬間に、それが破裂したのではないでしょうか。
これが僕の自己分析です。