FIREの先駆者と我が身を比べると

2023/04/28

資産運用 読書

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今回は、日本におけるFIREの先駆者である「三菱サラリーマン」こと穂高唯希さんの話をします。このブログの読者の方であれば、彼の著書を読んだことがあるという方は多いかもしれません。

穂高さんは2020年に「本気でFIREをめざす人のための資産形成入門」(実務教育出版)を出版。今年に入ってからも2冊目となる「#シンFIRE論」(KADOKAWA)を出して話題を集めています。


2冊とも学びの多い本ですが、より面白いと僕が感じるのは、やはり1冊目の「本気で~」の方。なぜなら、彼が30歳という若さでFIREを達成するまでの経緯や具体的な投資手法がたっぷり記されているからです。

僕が3年前にFIREした時の年齢は45歳だから、穂高さんは僕より15歳も若くして経済的自由に到達したことになります。これは驚異的なスピードです。

というわけでこの記事では、はなはだ僭越ながら穂高さんの人生と僕の人生と比較しながら、彼の凄さを考えてみたいと思います。 

 穂高唯希さんの最速FIRE人生

まずは本書や彼のブログ「三菱サラリーマンが株式投資でセミリタイア目指してみた」の記述をもとに、穂高さんの人生を簡単に振り返っておきましょう。

誕生は恐らく1988年(昭和63年)か1989年(平成元年)。(※FIREを達成した201910月時点で30歳という記述から逆算するとこうなります)。

幼い頃に父親を亡くして母子家庭で育ちましたが、母親の奮闘に支えられ中高一貫校から慶応大経済学部へ進学。さらに北京大に留学して経済学・金融論を学び、2012年春に三菱系の大企業に就職しました。

ところが入社早々、職場の不自由な空気、無難に画一的に振舞うことが優秀と見なされる空気に息苦しさを感じ、早期リタイアを決意。以来、「30歳までに達成する」と目標を定めて、ひたすら節約(本人は「支出の最適化」と表現)に励み、毎月の給料の8割を高配当株の購入に充てるようになりました。

そんな生活を7年余り続けた結果、蓄積された株式から得られる月々の配当収入が平均で20万円を超え、それだけで生活費を賄ってお釣りがくるようになったため、入社から7年半後の201910月に30歳の若さで早期退職。その時点で金融資産は約7000万円に達していたそうです。

退職後は夫婦で田舎に移住し、現在は農業や旅行を楽しみながらブログでの情報発信を続けています。

 

いや、本当に凄い。

この僕も、若い頃から周囲に呆れられるほどの節約生活を送り、人並み以上の早さでFIREを達成したつもりだったけど、穂高さんには遠く及びません。

45歳と30歳。勤続23年と勤続7年半。FIRE達成までに要したこの15年余りの差はどこから生じたのか、僕なりの考えを書いてみます。

 違いその1:明確な人生設計

まず第一は、明確な人生設計の有無でしょう。

以前の記事(「僕が新聞社を辞めた理由」)でも書きましたが、僕も20代の頃から新聞記者という職業に対して「面白い仕事だけど一生続けるような生活じゃないな」「早めにリタイアしてのんびり暮らしたいな」と漠然と考えていました。

しかし、それはあくまで漠然と、です。

「何歳まで記者を頑張って、何歳で早期退職しよう」といった具体的な人生設計を描いたことはなかったし、「なんだかんだ言って結局は定年までこの会社で働いているかもね」という思いさえ持っていました。

だから、高給をもらいながら節約生活を続けていたのも、生まれながらの貧乏性ゆえであって、明確な目標に基づく行動ではありません。せいぜい「自分が価値を見出せないものには1円も払いたくない」「いつか人生で大金が必要になる時が来るかもしれないし」といった意識でお金を貯めていた感じです。

結果的に40代半ばでサラリーマン人生に嫌気がさし、「もう辞めたい」と思った時にこのお金が役立ったわけですが、この展開を若い頃から予想していたわけではありません。

その点、穂高さんは全く違う。

新卒で大企業に入社した時点で違和感を抱き、早期リタイアを計画したというから驚きです。実は、僕が一番凄いと感じるのはこの決断の早さです。

僕だって新聞社に入った当初から、仕事内容や会社の組織風土に疑問を抱いたり、居心地の悪さを感じたりることは多々ありました。でも当時の僕は「まあ、会社ってこんなもんだろ」「給料をもらう立場なんだからな」などと自分を納得させ、ひたすらその環境に自分を慣らすよう努めてきました。

しかし、穂高さんは自分の直感を重視して、ただちに人生設計を修正したわけです。

重要なのは、だからと言って、いきなり辞表を叩きつけるとかいった無謀な行動に出なかったこと。とりあえず今は経済的自由を手に入れるための準備期間だと割り切って全力でサラリーマン生活を送り、高給を稼ぐ。この冷静さがあったからこそ、最短距離で理想の生活を手に入れることができたのでしょう。



違いその2:投資に対する意識 

第二の違いは、投資に対する意識です。

そもそも僕の場合、若い頃から続けてきたのは預金だけ。40代で早期退職を決意するまで「貯めたお金を投資で増やす」「不労所得を育てて生活費を賄う」といった発想が全くありませんでした。

(※このあたりの話は「退職前、資産運用を猛勉強」という記事に詳しく書いていますので、興味ある方は読んでみてください。)

これは決定的な差だと思います。

恐らくこの差は、中学時代から金融に興味を持ち、FX取引や株式投資で試行錯誤を重ねてきたという穂高さんと、生まれてこのかた経済というものに一度も興味を持ったことがなかった僕との間に横たわる、最大の違いでしょう。

今思えば、こんな自分がよくぞ遅まきながらも資産運用を勉強し、投資をたしなむようになったものだと思います。また、経済に全く興味がなかったにも関わらず、よくぞ節約だけは昔から継続していたものだと思います。己の貧乏性に感謝です。

僕にとって幸運だったのは、何も考えずにひたすら預金だけしていた1990年代~2010年代のサラリーマン時代、日本では一貫してデフレ経済が続いていたことです。だから結果的に、投資に無関心だったことが資産形成上の致命傷になりませんでした。この幸運がなければ、僕が40代でFIREすることは不可能だったでしょう。

でも、これからはそんなに甘くないと思います。現金だけ貯めていてもインフレや円安で実質的価値がどんどん目減りしてゆく時代になる可能性が高いからです。

だから、資産運用に全く興味がないという昔の僕のような若者には、「本格的なインフレ時代がやってくる前にぜひ投資を始めてほしい。勉強する暇がなければ、とりあえずNISA口座を作ってインデックス投資を始めてほしい」と伝えたい。FIRE志望者かどうかに関わらず、です。

話が脱線してしまいましたが、以上2点が僕と穂高さんの大きな違いだと思います。 

先駆者の存在に励まされた

ちなみに、僕が穂高さんの本を初めて手に取ったのは、早期退職して間もない頃でした。

自分なりに資産運用の勉強を進め、インデックス投資や高配当株投資を恐る恐る始めたばかりの時期だったので、この本に書かれている投資のノウハウや思考法が大いに参考になりました。

それと同時に、FIREという生き方をこれほど理詰めで実践している先駆者がいるんだという事実に感動し、大いに励まされたものです。

FIREを目指す人にとっては必読の書。そうでない人にとっても、人生設計を考えるうえで必ずプラスになる本だと思うので、未読の方はぜひ手に取ってみてください。


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コロナ禍のなか、45歳で新聞社を早期退職し、念願のアーリーリタイア生活へ。前半生で貯めたお金の運用益で生活費をまかないながら、子育てと読書と節約の日々を送っています。

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