早いもので、僕がこのブログを始めてもうすぐ10カ月が経とうとしています。この間、週2本くらいのペースで投稿を続け、今では記事数も80本以上になりました。
これまでの執筆活動を振り返って強く感じるのは、「ブログというのはリタイア生活とめちゃくちゃ相性がいい趣味である」ということです。
なぜ、そう思うのか?
今回はその理由、すなわち、リタイア生活者がブログを書くことのメリットを書いてみようと思います。
メリット① 過去の決断の備忘録になる
まずは何と言ってもこれ。
自分が人生の重要局面で下した決断の理由や背景を、他人にもわかりやすく説明した文章を書き残しておくことで、のちのち極めて有用な備忘録になるという効能です。
多くのリタイア生活者、特に自分の意志でアーリーリタイアした人は、今の生活を始めるにあたって数多くの選択を経験したはずです。
そもそも仕事を辞めること自体が人生最大級の選択だし、それに加えて、いつどういう形で辞表を出すか、有給休暇をどう消化するか、退職金は貯金するのか運用するのか、退職後はどこに住むか、何をして暮らすか、アルバイトはするか、健康保険をどうするか、年金をどうするか……といった数限りない選択があったはず。
恐らく元サラリーマンにとって、これほど多くの選択に向き合い、短期間に次々と決断を下した機会というのは、人生でもそうそうなかったと思います。みんな大いに頭を悩ませたことでしょう。
ところが恐ろしいことに、人間というのは少し時間が経つと、過去の悩みの細かい部分なんてあっさり忘れてしまいます。あんなに思い悩んでいたのになんで?……と呆れるほどに。
僕がそのことを痛感したのは、退職から2年余り経ったころでした。
「俺も近々、早期退職しようと思ってるんだけど、失業手当の手続きとか、確定拠出年金の切り替えとか、教えてほしいことがたくさんあるんだよ」
現役時代にお世話になった職場の先輩からこんな相談を受けました。
よくぞ聞いてくれました! そういう話なら経験者の僕に任せてください!
とばかりに、自分が早期退職したときの体験談や教訓、特に退職者がハマりがちな各種制度の「落とし穴」なんかをマシンガンのように話したのですが、どうも細かい部分まで説明しきれなかった感じがする。というより、肝心な部分を結構忘れてしまっている、ということに気づいたのです。
これではいけないと思い、その後、退職当時の様々な書類や手帳を引っ張り出して読み返してみました。
すると、「ああそうだった。この制度にはこういう欠点があったから、俺は利用しなかったんだ」とか、「ああそうか、あの時はこういう事情があったから、役所でこういう手続きをしたんだった」といった記憶が蘇ってきたのです。そこで改めて先輩に連絡を取り、前回の説明を補足したことは言うまでもありません。
はっきり言えば、僕がブログを始めたのは、この出来事がきっかけです。
自分が会社を辞めたときに経験したことって、これから辞めようと考えている人にとってとても有用な情報なんだ。でも、このままあと何年かしたら、そういう記憶は頭の中からきれいさっぱり消えてしまうだろう。それってもったいないよな……という気持ちでした。
だから、僕がブログを開設した当初、最も力を入れて書いたのは、退職前後の様々な選択を振り返ってその理由や背景を説明した一連の記事。これらの記事は今でも備忘録として僕自身の実生活で役に立っています。
例えば、ふと、「あれ、俺って会社を辞めたとき、なんで国民年金保険料の免除申請をしなかったんだっけ?」と思ったらこちらの記事。
あるいは、「あれ、俺ってなんでiDeCoに入金するのやめたんだっけ?」と思ったらこちらの記事を読んで、「そうだった、そうだった」と納得しているわけです。
忘れたことはネットや書籍で一から調べ直すという方法もありますが、それではあまりに効率が悪い。僕の経験から言えば、過去に自分で書いた説明文ほどすんなり頭に入ってくるものはありません。
まあ、自分と同レベルの脳味噌の持ち主がレクチャーしてくれてるわけだから、疑問点やつまずきポイントがピッタリ一致してわかりやすいのでしょう。
メリット② アウトプットが充実感をもたらす
リタイア生活者がブログを書くメリットの2つ目は、貴重なアウトプットの機会が得られるということです。
当たり前のことですが、仕事を辞めてリタイア生活に入ったら膨大な自由時間が手に入ります。読書も映画鑑賞もし放題、テレビもネットも見放題。このため、サラリーマン時代よりも格段にインプットの量が増えます。
僕自身、早期退職してからはヒマにまかせてめちゃくちゃ本を読むようになったし、読書のジャンル、興味の範囲も現役時代よりずいぶん広くなりました。
しかしその反面、アウトプットの量は激減しました。
新聞記者だったころは「何かを取材しては記事を書く」という作業の繰り返しだったため、ほぼ毎日、アウトプットの機会がありました。ところが仕事を辞めたとたん、インプットオンリーの日常が始まったのです。
最初はそれが新鮮でした。
小説を読んでも、ノンフィクションを読んでも、いちいち感想文なんて書かなくていい。「ああ面白かった」としばらく余韻に浸って、また次の本に手を伸ばせばいい。なんて幸せな毎日なんだろう……と思っていました。
ところが、こういう状態が1年2年と続くと、だんだん物足りなくなってきます。
自分が学んだこと、思索したことを誰かに伝えたい。そして、「なるほどね」とか「そりゃ面白い」とか言ってほしい。そんな欲が芽生えてきたのです。世間で言うところの承認欲求みたいなものでしょうか。
これはなにも、僕が元新聞記者だから、というだけの話ではないと思います。
営業マンでも経理マンでも技術者でも、長年サラリーマンをやっていた人なら誰でも報告書を書いたり、プレゼンをしたり、後輩のためにマニュアルを作ったりといったアウトプットの機会が多々あったはずです。
当時はそれが面倒くさいだけの作業だったとしても、いざインプットオンリーの生活を経験してみると、そういう機会が恋しくなってくるもの。
そんなとき、ブログを書くという行為は、アウトプットへの渇望を手っ取り早く満たしてくれる最良の手段となりえます。
自分の文章をネット空間で公開すれば、ほぼリアルタイムで、どのくらいの数の人々が読んでくれたのかがわかる。これって本当に凄いことだと思います。
もちろん、X(旧Twitter)やFacebookといったSNSでも同じような満足感が味わえると思いますが、僕の好みで言えば、より長い文章でじっくり自分の考えをつづることができるブログの方が「自分のメディアを持った」という実感が湧いてくるような気がします。
メリット③ 将来自分にとって最高の読み物になる
3つ目のメリットは、30年後40年後の年老いた自分にとって、今書いているブログは「最高のエンターテインメント作品」になる、という事実です。
多くの方は知らないかもしれませんが、記憶が薄れるほど昔の自分が本音をつづった文章というのは、想像を絶する面白さです。これは僕の実体験から自信を持って断言できます。
というのは、僕は40歳を少し過ぎたころ、帰省先の実家の屋根裏部屋で偶然、高校時代に密かにつけていた日記帳を発見したことがあるのです。
これがもう、本当に、本当に、本当に面白かった。「過去の自分との対話」と言ってもいいくらいの体験でした。
誤解がないよう断っておくと、別に文学的に優れているとか、物語性があるとか、そういう誰が読んでも感じられる面白さじゃありません。言ってみれば、よく知っている身近な人物(といっても過去の自分ですが)の胸の内をのぞき見るような、ごく個人的で下世話な面白さです。
その日記帳には、当時のクラスのリーダー格だった生徒に対する不満とか、当時通っていた空手道場の先輩にほめられた話とか、中学時代の友人と久しぶりに再会して「あいつ少し変わったな」と感じた話とか、そういう雑多な出来事や感情が断片的につづられていました。
ページをめくるたびに、数十年間忘れていた高校時代の喜怒哀楽が次々と蘇ってきます。
その大半は「ああ、そんなことがあったなあ…」という懐かしい記憶なのですが、なかには「え、昔の俺って、こんなこと考えてたの!?」と戸惑うような記述もチラホラ。誰もいない屋根裏部屋に1人たたずみ、時間も忘れて読みふけったものでした。
話を戻します。
僕は今のうちにせっせとブログを書きためることによって、あのとき実家の屋根裏部屋で堪能した「最高のエンターテインメント」を、30年後40年後の年老いた自分にも味わわせてやりたいのです。
だから、僕が想定する読者の中には将来の自分も含まれています。言ってみれば、今書いている数々の記事は、年老いて出歩くことができなくなった未来の自分への贈り物でもあるのです。
(※このメリット③に関しては、リタイア生活者限定の話ではありません。どんな立場の人でもブログを書くことで享受できるメリットです。また、世間に公表する形のブログではなく、閉じた日記であっても、このメリットは享受できます。むしろ、そっちの方がプライバシーを気にせず登場人物の実名をバシバシ記述できるので、数十年後に読み返したとき、より楽しめるかもしれません。)
以上、ブログを書くメリットを3つ列挙しましたが、このほかにもブログには「小遣い稼ぎになる」「インターネットに明るくなる」「日々の目標ができる」「今まで気にも止めなかったようなことが話のネタに思えてくる」といった様々な効能があります。
アーリーリタイアを実現してあふれんばかりの自由時間を手に入れた同志のみなさん、ぜひブログを始めましょう!