気がつけば2022年もあと2週間余りとなりました。
世間は何かと忙しい年の瀬ですが、こちらは相変わらずゴロゴロ読書にふける日々。せっかくなので、暇にまかせて今年の10大ニュースを選んでみました。
40代無職男の心に刺さった出来事をランキング形式で紹介していきますので、独断と偏見に満ちた解説とともに激動の2022年を振り返ってください。
第10位 朝日400万部割れ、産経100万部割れ
左と右、対照的な論調で知られる朝日新聞と産経新聞が、ともに急ピッチで部数を落としているというニュース。新聞業界の凋落ぶりを強烈に印象づけました。
「FACTA ONLINE」によると、日本ABC協会集計の朝刊販売部数で、朝日新聞は9月に大台を割り込んで399万部(前年同月比−62万部)に。販売店に多めに新聞を押しつける「押し紙」を除けば、実態は300万部あたりまで落ち込んでいるのではと推定されています。800万部超の部数を誇った全盛期からすれば半分以下という惨状です。
朝日新聞といえば、この夏に打ち出した早期退職募集(退職日は2023年3月末)も話題を集めました。対象は45歳以上のベテラン社員で、割増退職金は最高5000万円。200人規模の応募を想定しているそうです。
朝日は2021年にもほぼ同じ条件の早期退職募集(退職日は同年5月末)を行ったばかりなので、これだけなら「またか」という感じですが、今回注目を集めたのはその手法です。単に希望者を募っただけの前回と違い、今回は対象年齢の社員全員に対して上司が面談を実行するというのです。要は「肩たたき」。会社からお荷物と判断されたベテラン社員たちは厳しい面談にさらされていることでしょう。
一方の産経新聞は10月に100万部の大台を割り込んで99万部(前年同月比−7万部)に。「押し紙」を除いた実態は80万部くらいではないかと推定されています。全盛期は200万部以上あったので、こちらも半分以下の惨憺たる有様です。
産経新聞といえば、リベラルな野党政治家やメディアを執拗に攻撃することで右派層を取り込もうとする戦略を展開してきたことで知られています。この戦略、ネット空間での影響力を拡大するという点ではそれなりに機能したように見えますが、肝心の部数維持に関してはあまり威力を発揮しなかったようです。
第9位 日経新聞の若手が大量退職
お次も新聞業界の話題です。
週刊文春や文藝春秋によると、日本経済新聞社で昨年1年間に53人もの社員が依願退職したとのこと。しかも、このうち42人が20~30代の若手だというから異常事態といっていいでしょう。
さらに今春には、Twitterフォロワー37万人を誇っていたエース記者の後藤達也氏が退社してフリーに。まるで泥船から乗客が逃げていくような状態です。
日経新聞といえば、デジタル版の有料会員を数多く獲得し、低迷が続く新聞業界の中では珍しく健闘していると羨ましがられていた会社です。ところが報道によると、社内では派閥抗争が横行し、取材現場の人減らしが進む一方、若手社員たちは従来の新聞作りにデジタル対応の仕事まで背負わされてすっかり疲弊してしまっているとのこと。やはりどこも大変なんですね。
ちなみに、フリーになった後藤氏が経済ニュースを解説するYouTubeチャンネル、とてもわかりやすいので僕もよく聴いています。
第8位 フジテレビが早期退職募集
追い込まれているのは新聞だけじゃない、かつて「娯楽の王様」といわれたテレビも今やジリ貧だということを教えてくれたのが、こちらのニュース。
フジテレビが今年1~2月、「ネクストキャリア支援希望退職制度」と銘打って、50歳以上の社員を対象に早期退職を募集しました(退職日は3月末)。要は、高給取りのベテラン社員をターゲットにしたリストラ策です。しかし、そこは腐ってもフジテレビ、退職金の上乗せは1億円にのぼると噂されました(真偽不明)。
もっとも、こういう早期退職募集で往々に起こるのが、会社が辞めてほしい人は応募せず、残ってほしい人ばかりが応募するという現象。フジでもまさにこの通りのことが起こったようで、敏腕プロデューサーらが何人も応募したと週刊文春に報じられました。最終的な応募人数は60人程度とも100人程度とも言われています。
第7位 NISA大幅グレードアップ
多くの個人投資家が固唾をのんで見守っていた話題です。
政府・与党によるNISA(小額投資非課税制度)の拡充論議が12月に入って概ね決着し、2024年から始まる新NISAの全体像が浮かび上がりました。
一言でいうと、現行のつみたてNISAと一般NISAを一本化し、年間の非課税投資枠を360万円(うち120万円は投資信託の積み立て限定)に、生涯の非課税投資枠を1800万円(うち600万円は投資信託の積み立て限定)に引き上げるという内容。この枠内で購入した投資信託や株式の運用益には、一生税金がかからなくなります。
恐らく多くの個人投資家が拍手を送ったことでしょう。FIRE実践中の僕としても嬉しい限りですが、岸田政権がこれとセットでどのような増税を打ち出してくるかが心配です。すでに、防衛費アップのための増税方針を表明しているので、議論の行方を見守っていきたいと思います。
6位 アントニオ猪木氏死去
「燃える闘魂」の異名をとったアントニオ猪木氏が10月1日に79歳で病死しました。
猪木氏といえば、1970年代から1990年代にかけて、柔道五輪金メダリストのウィレム・ルスカ、プロボクシング世界王者のモハメド・アリ、極真空手の強豪ウイリー・ウイリアムスといった世界トップクラスの格闘家を次々とプロレスのリングに上げ、「格闘技世界一決定戦」「異種格闘技戦」と銘打った試合を行うことで爆発的な人気を集めたカリスマプロレスラーです。
かつて彼の異種格闘技戦を夢中でテレビ観戦していた少年の一人として、今回の訃報は非常に感慨深いものがありました。
ただ、彼の死を報じるメディアの論調を見ていると、どうしても違和感を抱いてしまうことがあります。それは、猪木氏の異種格闘技戦と1990年代以降に人気を博したRRIDEやRIZINといった総合格闘技イベントを同列に並べ、「猪木の活躍がその後の総合格闘技の原点になった」と論じる風潮です。
はっきり言って、これは間違いです。
猪木氏の異種格闘技戦は基本的に、あらかじめ両陣営の交渉で勝敗が決められた「プロレス試合」でした。(なかには事前交渉が決裂して結果的に真剣勝負になってしまった試合もありますが、それはごく一部の例外です。)
一方、総合格闘技というのは選手同士が勝敗をかけて戦う競技スポーツであり、その原点は1993年に米国コロラド州で初開催されたUFC大会です。ここを混同されては、真剣勝負の世界でしのぎを削っている総合格闘家たちは立つ瀬がありません。
猪木氏の異種格闘技戦は確かに面白い興行でした。しかし、その功罪を考えると、日本人の意識の中で格闘技とプロレスの区別を曖昧にしてしまった、という意味で罪深い興行だったと思います。まあ、裏を返せば、それだけ猪木氏の演出力や影響力が群を抜いていたということなのでしょう。
ともあれ、プロレスラー、実業家、参院議員として激動の人生を駆け抜けた猪木氏の死は、間違いなく時代の区切りとなる出来事だったと思います。
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はい、今回はここまで。次回は第5位~第1位を発表しますので、お楽しみに。