「木村政彦はなぜ力道山を…」衝撃のラスト2ページ

2023/02/07

読書

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今回は、作家・増田俊也さんの名著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(2011年、新潮社)について書きます。


最初にお断りしておくと、このブログのテーマである「早期リタイア」や「資産運用」とは全く関係のない内容です。

かつての愛読書を十数年ぶりに再読したら、めちゃくちゃ面白くて、考えさせられて、この思いを誰かと共有したいという思いが抑えられなくなったため、この記事を投稿した次第です。

ですから、この本に興味がある方だけお読みください。




格闘家を貶めるプロレスへの怨念

1954年(昭和29年)12月、全国民が注目する中、力道山とプロレスのリングで対決し、一方的にマットに沈められた悲劇の柔道家・木村政彦。

彼はこの敗北によって「史上最強の柔道家」と讃えられた前半生の栄光をすべて失い、「力道山に負けた男」という汚名を背負って後半生を過ごすことになりました。

その無念を晴らしたい。ペンの力で仇を打ちたい---。

著者の増田さんはその一心でこの大作を書き上げたのです。

彼が取材を始めたのは、木村が他界した1993年。

木村をめぐる一方的なマスコミ報道に憤ってその人生を調べ始めた時、増田さんはまだ27歳でした。新聞社勤務の傍ら18年間にわたって取材を続け、この作品を書き終えた時は45歳になっていたというから、まさにライフワークです。

なぜ、そこまでして木村の名誉挽回にこだわったのか。その動機を彼はプロローグの中でこうつづっています。

ショーであろうと八百長であろうといいではないか……そう言う者もある。だが、それによって踏みにじられる人生がなければの話だ。プロレスは、自らの地位を高めるためにアマチュア格闘家たちの頬を札束で叩き、負け役を強い続けた。柔道界でいえば、アントン・ヘーシンクもウィレム・ルスカも負け役を強いられた。プロレスの問題はそこにある。ある意味で、木村vs力道山戦は、そのいびつな構図のプロトタイプになってしまった。

 まさに怨念のこもった文章です。

そう、日本格闘技史上に残るあの一戦は、真剣勝負ではなかったのです。

ごく簡単に言えば、あの試合は周囲の取り計らいによって「引き分け」という筋書きが用意され、両者がそれに合意したうえで組まれたものでした。

しかし、力道山は試合中に「八百長破り」、つまり、事前の取り決めを無視した不意打ちを仕掛け、油断していた木村を滅多打ちにして勝利を奪います。

このような試合の「真相」は、その後、木村自身の告発や関係者たちの証言で明らかになりますが、木村にとっては後の祭り。力道山は国民的英雄としてスター街道をひた走り、敗者のレッテルを貼られた木村は世間から忘れ去られてゆきます。あまりにも残酷な運命の分かれ目でした。

そして時代は流れ、「木村政彦は力道山に負けた」という表面的な記録だけが歴史として定着してしまいました。

著者の増田さんはこれが我慢できなかった。

だから執拗に文献を漁り、関係者へのインタビューを重ね、「木村が本当はいかに強かったか」「いかに卑劣な手段で木村は嵌められてしまったのか」といったことを膨大なエピソードを積み上げて炙りだしてゆきます。

その取材の蓄積がハンパない。

しかし、この作品の本当に凄いところは、さらにその先にあります。

なんと、取材が核心に近づいてきたとき、増田さんの確信―――「真剣勝負であれば木村は間違いなく力道山に勝っていた」という仮説―――が揺らいでくる。

その時の著者の葛藤、苦悩が一番の読みどころなのです。

覆される予定調和

増田さんは、「木村−力道山戦」の映像記録を持参して、多くの格闘家のもとを訪ね、見解を求めます。もし木村が本気を出していれば間違いなく木村が勝っていたと思いませんか、と。

ところが、彼の期待とは裏腹に、映像を見た格闘家たちは異口同音に言います。

いや、この木村はかなり力が落ちている、逆に力道山は相当練習を積んでいい動きをしている、これは木村が本気になったとしてもわからない、と。

なかには、いくらプロレスがショーだとわかっていても、リングに上がるときに、そんな隙を見せるのは勝負師じゃない、と木村を突き放す声もありました。

真剣勝負なら木村が勝っていたはずだ―――。そのことを証明するためだけに突き進んできた著者の長い旅は、ここにきて暗転し、彼は迷いに迷った末、苦渋の言葉を吐きます。

 

私も悔しい。ずっとずっと悔しかった。力道山を許せなかった。今だって悔しい。
だが、大量の活字資料の99%以上はプロレス側のものである。資料を漁れば漁るほど、木村を馬鹿にし、揶揄するような言葉ばかり出てくる。「プロレスとはこういうものだ」などとわけのわからない論理をふりかざされ続ける。冗談ではない。
だから、柔道側からの視点であえて書く。そうしないと一歩も前へ進めないのだ。 
あれはただのブック破りでしかない。騙し討ちであった。だから勝ち負けを論ずるのは間違っている。 
だが、木村の魂はさまよい続け、介錯を待っているのだ。ならばその魂に柔道側から介錯するしかない。
木村政彦は、あの日、負けたのだ。
もう一度書く。
木村政彦は負けたのだ。

 

いやあ、涙失くして読めない感情の吐露です。

木村の名誉を挽回したいという情熱と、事実を事実のまま書くというジャーナリストの矜持の衝突。そして、根底から覆された予定調和。

ああ、すごい作品を読んだ……。

そう思って、本を閉じようとする時、読者はさらにもう一発、脳天に衝撃を食らいます。

この長大な作品のラスト2ページで、著者の増田さんは驚くべき「事実」を公表しているのです。

幻の地下格闘技大会

それはこういう話です。

昭和50年代、日本のある地方都市で、ある胴元によってノールールの地下格闘技大会が開催された。

その大会でチャンピオンになったのは、木村の愛弟子であり、柔道全日本選手権の元王者であり、師匠の仇討のために一時は打撃ありの特訓を積んでプロレス入りの準備を進めていた岩釣兼生(故人)という柔道家だった……。

 

ええ~⁉

はっきり言って、にわかに信じられない話です。

そんな少年漫画のような地下格闘技大会が、世間のあずかり知らないところで秘密裏に開かれていたなんて。

深い感動とともに木村の人生を見届けたと思っていた僕は、このラスト2ページを読んだことで、たちまち野次馬根性丸出しの格闘技ファンに戻ってしまいました。

次回は、この幻の大会について考えてみようと思います。(つづく)



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コロナ禍のなか、45歳で新聞社を早期退職し、念願のアーリーリタイア生活へ。前半生で貯めたお金の運用益で生活費をまかないながら、子育てと読書と節約の日々を送っています。

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