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前回に続いて増田俊也さんの名著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(2011年、新潮社)の話です。
この作品のラスト2ページで明らかにされた「事実」は、格闘技ファンにとって衝撃的な内容でした。
昭和50年代、日本のある地方都市で「何でもあり」の地下格闘技大会が開かれた。
それは各界の大物が贔屓の格闘家を連れてきて戦わせ、賭博によって大金が動く非公開イベント。
その大会でチャンピオンに輝いたのは、悲劇の柔道家・木村政彦の愛弟子であり、柔道全日本選手権の元王者であり、師匠の仇討のために一時は打撃ありの特訓を積んでプロレス入りの準備を進めていた岩釣兼生(故人)という柔道家だった……。
なぜ情報が漏れ出てこないのか
十数年前、発売されたばかりの本書を初めて読んだ時、僕はこの結末にびっくり仰天して、インターネットで関連情報を探しまわった記憶があります。
でも、この大会に関する具体的な情報は何も見つかりませんでした。
今回、再びネットで情報を探してみましたが、やはり何も発見できませんでした。
僕にはどうしても腑に落ちません。
誤解がないように言っておくと、「岩釣が優勝した」という点に引っかかっているわけではありません。
むしろ、総合格闘技というジャンルがまだ存在しなかったこの時代に、こういうノールールの大会があったとすれば、重量級の柔道家、しかも、打撃対策を積み、サンボという別種の格闘技でも実績を残している岩釣氏のような人物が優勝する可能性は大いにあると思っています。
僕が引っかかっているのはそういうことではなくて、こういう非常にセンセーショナルな大会が開催されたにもかかわらず、その後数十年間にわたって情報がまったく表に出なかったという点についてです。
そんなことがあり得るでしょうか。
このような大会が本当に開催されたのであれば、胴元、出場選手とセコンド陣、賭けに興じる各界の大物たち、大会を背後で取り仕切る裏社会の人間たち……どれだけ少なく見積もっても関係者は百人を超えると思われます。
それだけの人間がかかわっていたら、いくら厳しく箝口令を敷いていたとしても、年月の経過とともに情報は洩れるものです。
まして、本書のもとになった「ゴング格闘技」誌上の連載が完結した2011年の時点で、大会の存在が暴露されてしまったわけだから、少なくともその段階で多くの格闘技ライターたちが取材に動いたはずです。
にもかかわらず、本書の出版から10年以上が経過した今も、この地下格闘技大会の具体的な情報が何も世に出ていない。
……ということは、やはりガセなのではないか?
そんなふうに疑ってしまいたくなります。
吉田豪氏も噂を掴んでいた
しかし。
この「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」という作品は、増田さんのライフワークの結晶です。彼がどれほどの時間と労力と情熱を費やしてこの本を書き上げたかということは、読めば痛いほどわかります。
恥を忍んで告白すると、僕は20年余り新聞記者という職業についていましたが、これほど全身全霊で一つのテーマに取り組んだ経験はありません。それくらい彼の作品には鬼気迫るものがあります。
さらに言えば、新聞記者でもあった増田さんは、事実を書くために「裏を取る」、つまり複数の人間にあたって情報の真偽をチェックすることの重要性も熟知しているはずです。
そんな増田さんが、己の分身ともいうべき作品のラストに、いい加減な情報を載せるとはとても思えません。
そう考えながら、増田さんの他の著作に目を通していたところ、興味深い記述を見つけました。
それは「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の7年後に出版された「木村政彦外伝」(2018年、イーストプレス)という本に収録された、増田さんとコラムニストの吉田豪氏との対談です。
この対談が行われた時期は同書の中で明記されていませんが、内容からみて、連載終了後まもない時期に企画され、ゴング格闘技誌に掲載されたものだと思われます。
ちなみに、対談相手の吉田氏は格闘技界の裏話に精通した人物として知られています。
その吉田氏がこの対談の中で、増田さんの連載の感想として「ああ最終回で踏み込んだ、と思いました」と地下格闘技大会の話に水を向けます。すると、増田さんはこう答えます。
いやあ、あの号が出た直後には、たくさん電話が来ましたよ。でも裏の方たちは男っぷりがいいですから、「木村先生の名誉を回復したいんです。岩釣先生を男にしたいんです。そういう気持ちわかりますよね」と言ったら納得してくれました。
これはつまり、例の大会に関わっていた裏社会の人々から「なぜ書いたんだ」と抗議を受け、情に訴えて納得してもらったという意味でしょう。
増田さんのこの発言に対し、今度は吉田氏が驚きの発言をします。
僕もあの地下格闘技大会の話を聞いた時、当時やってた胴元が現役だから絶対書くなと言われていて、でも書きたかったのでその人から聞いたという感じではなくコラム的な形で逃げを打ってどこかに書いたことはありました。
なんと、吉田氏もかつて、この大会の噂を取材でつかみ、話をぼかしたうえで文章にしたことがあるというのです。
ちなみに、吉田氏の情報でも、その大会で優勝したのは岩釣兼生だったそうです。
外国人レスラーやムエタイ選手も出場⁉
この対談では、このほかにも2人の口から地下格闘技大会に関する断片的な情報がいくつか出てきます。こうした情報を総合すると、およそ次のような大会の姿が浮かび上がってきます。
・その地下格闘技大会は、昭和50年代(1975~1984年)に日本の地方都市で開催された。ただし、横浜港の赤レンガ倉庫付近で開かれたという情報もあり、当時、似たような大会が異なる胴元によって複数催されていた可能性もある。
・出場選手には、日本人格闘家のほか、当時来日していた外国人レスラーや、ムエタイ戦士もいたらしい。
・増田俊也は、生前の岩釣兼生からこの大会のことを聞き出していたが、本人から「書かないでください」と口止めされていた。しかし、増田は岩釣の死後、連載の最終回で「岩釣、木村、そして柔道の名誉のため」という大義名分でこの大会のことを書いた。
う~ん……。
こうしてみると、やはり、この地下格闘技大会は本当にあったのではないかという気がしてきます。ひょっとしたら、僕が無知なだけで、格闘技業界では「知る人ぞ知る話」なのでしょうか。
でも、門外漢の僕にしてみると、どこか漫画の世界の出来事のようで、いまひとつ実感がわきません。
昭和50年代の格闘技界
少しでもイメージをつかむために時代を振り返ってみましょう。
昭和50年代といえば1975年~1984年。当時の格闘技界のトピックといえば、こんな感じです。
1975(昭和50)極真空手第1回世界大会で佐藤勝昭V
1976(昭和51)アントニオ猪木×ウィレム・ルスカ
アントニオ猪木×モハメド・アリ
モントリオール五輪柔道無差別級で上村春樹V
アントニオ猪木×アクラム・ペールワン
1977(昭和52)柔道全日本選手権で山下泰裕の9連覇スタート
アントニオ猪木×ザ・モンスターマン・エディ
少年マガジンで「空手バカ一代」連載終了
1978(昭和53)藤原敏男がムエタイ史上初の外国人王者に
北の湖が5場所連続V達成
少年マガジンで「四角いジャングル」連載開始
1979(昭和54)極真空手第2回世界大会で中村誠V
1980(昭和55)アントニオ猪木×ウィリー・ウィリアムス
日本がモスクワ五輪をボイコット
1981(昭和56)千代の富士が横綱昇進
少年マガジンで「四角いジャングル」連載終了
1982(昭和57)映画「少林寺」公開
1984(昭和59)極真空手第3回世界大会で中村誠V2
第1次UWF旗揚げ
ロス五輪柔道無差別級で山下泰裕V
いかがでしょう。あの時代の雰囲気が少しは蘇ってきましたか。
僕の場合、この中から最も印象深い出来事を挙げるなら、ウィリー×猪木の異種格闘技戦です。(当時の僕は父の影響で極真空手ファンでした。もっとも、物心ついたばかりのころなのでリアルタイムの記憶はモヤっとしてますが……)
この年表を見ればわかる通り、昭和50年代というのは猪木率いる新日本プロレスの「異種格闘技戦」興行が世間を席巻していた時代でした。もちろん、UFCもPRIDEもまだ存在していません。
つまり、「異なるジャンルの格闘技の対決≒フェイク」だった時代なんです。
それだけに、格闘技界の裏事情を知る人々の間で「ああいう筋書きありのプロレスじゃなくて、格闘家たちに本物の真剣勝負をさせてみたら面白いだろうな」という発想が生まれてくる余地はあっただろうと思います。
しかし、それを実行に移すとなると、当時としてはかなり前衛的というか、キワモノ的というか、ぶっとんだ試みだと受け止められたはず。
そんな過激かつ怪しげな地下イベントに、元柔道全日本選手権王者という正統派の肩書を持つ岩釣氏が参戦したのだとすれば、やはり「師の名誉挽回」「プロレスへの復讐」という目的があったと考えるべきでしょう。(もちろん、金銭的な事情もあったとは思いますが)
そして、昭和50年代は木村政彦も健在でした。
ということは、この話が事実なら、木村本人が愛弟子のセコンドとなって地下格闘技大会の会場に足を踏み入れていた可能性もありそうです。
「幻の大会」が史実となる日は来るのか
う~ん、気になる。
どうしても詳細を知りたい。
改めて「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」のラストを読み返してみます。
増田さんは地下格闘技大会の話を暴露するにあたり、「まだ生きている関係者もいるので迷惑を掛けぬように詳細は省く」と断りを入れています。
恐らく、この大会に出場し敗れ去った格闘家たちの名誉に配慮しているのだろうと思います。あるいは、まだ生存している「胴元」や「各界の大物」に遠慮しているのかもしれません。
であれば、彼ら全員が鬼籍に入ったタイミングを見計らって、増田さんは詳細を書くつもりなのでしょうか。
でも、その時はもう、生き証人がいないわけだから、第三者が事実関係を検証することが困難になっている恐れがあります。最悪の場合、この地下格闘技大会の存在は「真偽不明の伝説」として片付けられてしまうかもしれません。
ですから増田さん、一格闘技ファンとしてお願いします。
いろいろ差し障りがあろうかと思いますが、ぜひ関係者が生きているうちに詳細を書いてください。
そして、この幻の大会を「伝説」から「史実」へと昇華させてください。