空き家となった母の実家~瀬戸内離島紀行

2023/03/17

リタイア生活

 今回は、瀬戸内海の離島にある母の実家が廃屋になってしまったという話をします。全国で深刻化する空き家問題の典型例のような話です。


僕の母方の祖父母は10年余り前に他界しました。

2人が暮らしていたのは瀬戸内海に浮かぶ過疎の島。歴史的には海賊の根拠地として知られた島ですが、現在は漁業のほかに目立った産業もなく人口は減る一方です。

この春、僕は祖父母の墓参りをするため、久しぶりに母と島へ渡りました。その模様を簡単にご報告します。

大部分が空き家の集落

その島へは四国のある港から定期船が出ています。自治体からの補助金がなければ到底維持できないような寂れた航路です。


ガランとした船上から周囲の島々を眺めていると、30分ほどで目的の島の港に到着しました。こちらが船着き場の岸壁です。


母の実家は、この島の中でも港から最も遠い不便な集落にあります。

その集落には十数軒の民家がありますが、今ではほとんどが空き家で、人が住んでいるのはわずか2、3軒とのこと。典型的な限界集落です。

とはいえ、自治体が運営するコミュニティーバスに乗れば、港から10分余りでその集落へ行くことができます。

バスを降りた僕たちは、まず、祖父母が眠る集落の共同墓地を訪れました。海沿いに立地した趣のある墓地です。ただ、僕ら以外に全く人影はありません。


ここで墓参りをすませた後、集落の背後の山裾にある菩提寺へお参りしました。眼下に広がる瀬戸内の風景はなかなかのものです。


ただ、このお寺もかなり前から住職のいない無人の寺となっています。現在は四国本土にある同じ宗派の寺の僧侶が、年に何度か島に渡り、寺の管理をしているそうです。

さらに、お寺の裏手の山道を少し登って山林内の墓地へ。こちらは、さきほどの海沿いの墓地と違って、少し薄暗くて心細い場所です。


お参りに来る人もほとんどいないのでしょう。多くの墓石が倒れたり傾いたりして荒れ放題です。

ところで、この集落にはどうゆうわけか海と山の2カ所に共同墓地があり、我が家の先祖の墓も両方に存在します。

母によると、寺の裏山にあるこちらの墓地は、昔から「らんとう」と呼ばれているそうです。

らんとう?

風変わりな響きの言葉だなと思っていましたが、つい最近、民俗学関係の本を読んでいてその意味を知りました。

「らんとう」というのは、このあたりの地方でよくみられる家型の墓石のことで、「藍塔」「蘭塔」「卵塔」などの字をあてるそうです。確かに、この墓地には家型の墓石がたくさんありました。


海と山の両方で墓参りを終え、いよいよ集落の中にある祖父母の家を見に行くことにしました。

ただ、海岸沿いの道路から家へ続く通路はこの有様。


両側の石垣が崩れ、通路をふさいでしまっています。住民がほとんどいないから修繕する人もいない。少子高齢化が進む日本は、そのうちどこもかしこもこんな感じになってしまうのかなあ、と考えてしまいました。

竹藪に飲みこまれた築102年の古民家

そして、これが祖父母の家です。


家全体が竹藪に飲み込まれ、完全に廃屋になっています。

僕自身も子供のころ、夏休みのたびに遊びに来ていた思い出深い家なので、見る影もない今の姿に胸が痛みました。祖父母には本当に可愛がってもらった記憶があります。

母によると、先祖伝来の土地にたつこの家は、大工だった僕の曽祖父が自ら建築し、大正5年生まれの祖父が5歳の時(つまり大正10年=1921年)に完成して「棟上げ」を催したとのこと。だから、今年で築102年ということになります。

祖父母の死後は、四国の小都市に住む母がこの生家を相続しましたが、島を訪れるのはせいぜい盆と彼岸の墓参りの時くらいなので、荒れる一方です。

今思えば、祖父母が他界した時点で空き家バンクなどに登録し、借り手や買い手を探せばよかったのかもしれませんが、当時はそんな知識も発想もありませんでした。もっとも、そうしたところで買い手がついたとも思えませんが……。

固定資産税はゼロ、特定空き家指定の可能性は…

そもそも島育ちの母は、先祖伝来の土地を手放すことに抵抗があるようで、今でも「固定資産税もかからんような二束三文の土地なんやから、別にこのままにしといてもええやろ」などと話しています。

以前、母に相続時の書類を見せてもらったことがありますが、確かに、その評価額は固定資産税が免除されるライン(=免税点、土地なら30万円未満、家屋なら20万円未満)を余裕で下回っていました。なるほど、これなら税制が変更されない限り固定資産税を取られることはないでしょう。

ただ、2015年に施行された「空き家等対策特別措置法」に基づいて役所がこの家を「特定空き家」に指定し、解体を命じてくる可能性があるのではないか。そうなると、結構な費用負担が生じるのではないか。そんな心配が頭をよぎりました。

しかし、考えてみればその可能性も低そうです。

というのは、役所が空き家の所有者に解体を命じるケースというのは、その物件が街中にあって、ゴミの不法投棄を誘発したり、倒壊の危険が発生したりするケースがほとんどです。つまり、周辺住民の迷惑を予防する意味合いが強いのです。

ところが、この家の場合、周りも同じような空き家ばかりで誰も住んでいません。訪れる人もほとんどいません。こういうほぼ無人の集落で1軒だけ空き家を解体したところで、行政上のメリットは何もないでしょう。

というわけで、今のところ、僕たちも祖父母の家が朽ち果てていくのをただ見守っているだけの状態です。

おそらく全国各地の限界集落と同じく、この場所もやがて集落全体が藪に覆われ、忘れ去られていくのでしょう。


将来は海辺の家に住みたいけれど

ちなみに、僕の将来の夢は海辺に住み、魚突きや釣りをしながら暮らすことです。

今は子供が都市部の学校に通っているのでまだ移住できませんが、子供が独立したら南の島にでも引っ越したいと考えています。

それなら祖父母の家をリフォームしてここに住めばいいじゃないかと思われるかもしれませんが、残念ながら、この島は僕が最も重視する条件を満たしていません。

それは海の綺麗さです。

はっきり言って、瀬戸内海は水質が良くありません。景色として眺めるぶんには問題ありませんが、実際に海に潜れば、太平洋や日本海との水質の差は歴然としています。透明度は低いし浮遊ゴミも多い。

「内海だから仕方ない」という声もありますが、僕はそうは思いません。

この島で育った70代の母は「私が子供のころは、この辺の海も今とは比べものにならないくらい綺麗やった。飛び込み台の上に立つと、水面の何メートルも下を泳ぐ魚が見えていた」と回想しています。

つまり、瀬戸内海は過去数十年の間に人為的に汚されたということです。

新聞記者をしていたころ、ある行政マンから「確かに高度成長期の瀬戸内海の水質汚染はひどかった。でも、今は工場の排水規制も厳しくなったから、水質もどんどん回復している」という説明を聞いたことがありますが、僕の感覚ではせいぜい「マシになった」というレベルです。

瀬戸内海の沿岸では高度経済成長期以降、水質浄化機能を持つ貴重な干潟や磯浜が次々と埋め立てられ、工業用地が造成されてきました。後になっていくら排水基準を厳しくしても、失われた干潟や磯浜は戻りませんから、瀬戸内海にかつてのような浄化作用は期待できません。

というわけで、とても残念なことではありますが、僕が今後、先祖の眠るこの島で暮らすことはないだろうと思っています。



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コロナ禍のなか、45歳で新聞社を早期退職し、念願のアーリーリタイア生活へ。前半生で貯めたお金の運用益で生活費をまかないながら、子育てと読書と節約の日々を送っています。

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