テレビに映った元同僚を見て感慨にふける

2023/06/27

新聞業界

 

つい先日、新聞記者時代の同僚がテレビに出ているのを目撃しました。

1990年代のある年の春、同じ新聞社にともに新卒採用で入社したA君という同期です。僕と違って彼は順調に出世の道を歩み、現在はある県庁所在地支局の責任者、つまり支局長を務めています。

その彼がなんと、当地のローカルテレビ局のニュース番組に準レギュラー級のコメンテーターとして出演し、ネクタイをビシッと締めてニュース解説をしているではありませんか!




その動画がネットにアップされ、県外に住む僕の目に入ってきたというわけです。


ニュース解説に思わずエール

まず、彼のたたずまいに目を奪われました。

若いころから恰幅がよく、同期の間でも「おっさんぽい」と言われていた奴ですが、その貫禄にさらに磨きがかかっていました。僕と同じ40代とは思えない、政界の重鎮のような風格です。

ただ、A君のしゃべりはたどたどしく、お世辞にも「様になっている」とは言い難いものでした。その表情からは極度に緊張している様子が伝わってきます。

それでも彼は一生懸命しゃべっていました。

額に汗を浮かべ、用意したペーパーに時々目を落とし、それでもすぐに視線を司会者やTVカメラに戻して真剣にしゃべり続けます。




僕の頭には、もう彼が話している内容なんて入ってきません。

「落ち着け! もっとゆっくり! そんな硬い表情ばかりじゃなくて、時々は笑顔も見せなきゃ! その方が視聴者に絶対うまく伝わるから……」

ふと気づけば、運動会で我が子に声援を送る母親のような気持ちになっていました。

 かつて一緒に働いた「取材の鬼」

動画を見終えた後、僕はいろいろ考えました。

新聞業界は今、かつてない読者離れにさらされている。その流れを食い止めるためにも、世の中の人々に少しでも新聞への親しみを感じてもらいたい。そのためには、どんな機会でも最大限活用していこう……。

多分、A君はそんな思いでTV出演という畑違いの仕事を引き受けたのでしょう。その気持ちが痛いほど伝わってきたから、思わずエールを送ってしまったのです。

実はA君と僕は20代の一時期、これとは別の県庁所在地支局で3年間ほど机を並べて働いていたことがあります。だからわかるのですが、彼は決して人前で話すのが得意な人間ではないし、器用な人間でもありません。

ただ、僕よりずっと優秀な新聞記者だったことは確かです。

とにかく仕事にかける意気込みが違いました。「この人からネタを取る」と心に決めたら、警察官だろうが政治家だろうが食らいつくように取材する。相手が根負けするまで足しげく会いにゆき、一緒に酒を飲み、食事を重ね、多くの時間をともにして人間関係を築く。やがて相手が「あんたになら」と言って重要な情報を教えてくれるようになる……。そんなタイプの記者でした。

当然のことながら、こういう取材をしていると生活は仕事一色になり、プライベートな時間は極端に減ってしまいます。が、A君は平気の平左。当たり前のように休日返上で朝から晩まで働いていました。



だから正直に言うと、職場で何かと比較されることが多い同期の僕としては、少々煙たい存在でもありました。

以前の記事でも書きましたが、若いころの僕は新聞記者という仕事にやりがいを感じつつも、あまりに自由時間の少ない生活に辟易し、「これは一生続けたい仕事じゃないな」と考えていました。

この時期もA君の活躍を間近に見ながら、「ああ、俺にはとてもこんな働き方はできない。こんな奴がゴロゴロいるこの業界では、とても生き残っていけそうにないよ」と絶望的な気持ちになっていたのです。

もちろん、これは僕が勝手に抱いていた感情であって、A君には何の悪気もありません。彼は別に、生ぬるい働き方をしている僕をなじるわけでもないし、蹴落とそうとするわけでもない。むしろ、僕が仕事で行き詰まったときは相談に乗ってくれるようないい奴でした。

だから、彼がその後、社内で順調にキャリアを積んでいくのを僕は素直に応援することができたのです。(直属の上司になっていたら心がざわついたかもしれませんが……。)

1つの会社で勤めあげるという人生

振り返れば、僕やA君が新聞社に入った年、同期の新入社員(記者職)は70人くらいいました。新聞が斜陽産業となった今では考えられないほどの人数です。

希望に燃える新人記者たちは短い研修を終えると、全国の地方支局に一斉にばらまかれ、過酷な記者人生を歩み始めます。

僕たちの同期の中には、赴任早々に心を壊して退職した者もいれば、数年勤めてから「やっぱり違う」と考えて大学に入り直し、医者に転身した者もいました。ニュースになるような不祥事を起こして社を去った者、独立してフリージャーナリストになった者もいます。40代半ばで息切れして早期リタイアしてしまった者もいます(※これは僕です)。

でも、よくよく考えてみれば、同期の大多数はA君のように今も社内で頑張っているわけです。こういうブログを書いていると、FIREを達成したり、華麗なる転身を遂げたりした人にばかり目を向けがちですが、1つの会社で一生勤めあげるというのも、もちろん立派な人生です。

額に汗を浮かべてニュースを解説するA君の顔を思い出しながら、「見た目はだいぶ変わったけど、中身は全然変わってないな」と僕は少しうれしくなりました。

人前でしゃべるのが苦手なところも昔のままだし、苦手なことでも愚直にぶつかってゆくところも昔のまま。そして、あのころと同じように新聞というメディアをこよなく愛し、なんとか新聞を復権させたいと念じながら、あらゆることにチャレンジし続けているのでしょう。

世の中には、それを「時代遅れ」などと揶揄する人もいるけど、そんな雑音を気にする必要はありません。少々先行きが不透明だろうが、斜陽産業だろうが、自分の天職だと思える仕事に就けている人はそれだけで幸せなんだから……。

新聞社を早期退職して3年余り。久しぶりに元同僚の姿を見て、そんな感慨にふけった夏の1日でした。




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コロナ禍のなか、45歳で新聞社を早期退職し、念願のアーリーリタイア生活へ。前半生で貯めたお金の運用益で生活費をまかないながら、子育てと読書と節約の日々を送っています。

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