実はFIREしていた歴史上の有名人たち

2024/02/07

リタイア生活

みなさんこんにちは、自称FIRE史研究家の穴切史郎です。今回は、FIRE界の偉大な先人たちの足跡を紹介したいと思います。

FIREとはもちろん「Financial Independence,Retire Early」の略。

最近はいろいろな解釈がなされていますが、基本的には「若いうちに不労所得で生活費を賄える状態を作り、早々と仕事をリタイアして好きなことに時間を費やす生き方」といった意味合いでしょう。

一般的に、ミレニアル世代の新潮流だと理解されていますが、その思想的源流はもっと古い、というのが僕の持論。「人生の後半は組織を離れて好きなことだけやってたい」というのは人類普遍の願望なのではないかと思うからです。

そのような視点で古今東西の歴史を眺めてみると、「あれ、この人ってFIREしてたんじゃない?」と思えるような有名人がチラホラ目につきます。

というわけで以下、「実はFIREしていたと思われる歴史上の有名人ビッグ4」を紹介していきます。

(※もちろん、昔の話だから「不労所得>生活費」というFIREの要件を満たしていたかどうかはわかりません。あくまで思想・信条・感覚的な話です。)


アラサーで超速リタイア、兼好法師

まず1人目はこの方、言わずと知れた鎌倉~室町時代のエッセイスト、兼好法師さん。

もともとは朝廷に仕える役人だったけど、出世や名誉の価値に疑問を抱き(諸説あり)、なんとアラサーで早期退職。このスピード感は現代FIRE界の先駆者、「三菱サラリーマン」こと穂高唯希さんを彷彿とさせます。

(※穂高さんの凄さはこちらの記事で検証しています。)

その後はアドレスホッパーのごとくあちこち転居しながら和歌やエッセーを書き続け、ユーモアと毒を含んだ代表作「徒然草」が死後に大ブレイクしました。「つれづれなるままに日ぐらし、すずりに向かいて…」というやつですね。

彼の人生は、今ならさしずめ「エリートサラリーマン→無職ブロガー」コースといったところでしょうか。

それにしても、インデックスファンドも高配当株もなかったこの時代、兼好さんはリタイア後の生活費をどう賄っていたのでしょうか?

サラリーマン時代の貯えを取り崩していたのか…

実家が太かったらしいので、仕送りみたいなものがあったのか…

朝廷や鎌倉幕府の要人と親しかったから、何らかの援助があったのか…

それとも近所の農家でバイトでもやってたのか…

どなたかご存じの方がいたら教えてください。


出世あきらめミニマリストに、鴨長明

2人目は、平安~鎌倉時代のエッセイスト、鴨長明さん。さきほどの兼好さんと割とよく似た人生です。

もともとは下鴨神社の神官の御曹司だったけど、ライバル親族との後継争いに敗れ、失意のまま和歌の道へ。そこに別の神社の重要ポスト就任のチャンスが舞い込んできましたが、またしてもライバル親族に邪魔されて失敗。とうとう出世に絶望し、アラフィフで早期リタイアしてしまいました。


その後は、都の郊外の1辺3メートル程度のスモールハウスでミニマリスト生活。無常観あふれる人生論をつづったエッセー「方丈記」が死後に大ヒットしました。「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず…」というやつです。

今ならさしずめ「同族企業のボンボン→無職ブロガー」コースといったところ。この方もやはり、リタイア後の生活費をどうしていたのか気になります。


がっつり稼いで趣味に全振り、シュリーマン

3人目はガラリと毛色が変わって、ドイツ人考古学者、ハインリッヒ・シュリーマン。トロイア遺跡の発掘で有名な方です。

もとは貿易商社の社員でしたが、20代で独立起業。金や弾薬原料の売買で巨万の富を築き、30代でビジネス界をリタイアします。

それから大学で考古学を学んだ後、40代でギリシアに移住し、少年時代からの夢だったトロイア遺跡の発掘を開始。莫大な私費を投じた末、黄金の装飾品などからなる「プリアモスの財宝」を発見して一躍世界的有名人となりました。

(※トロイア発掘が少年時代からの夢だったというのは創作で、実際はリタイア後に発掘に目覚めたという異説もあります。)

いやはや、これぞ正真正銘のファットFIRE!

今ならさしずめ「サラリーマン→起業家→学び直し→趣味爆発」コースといったところでしょう。


FIRE卒業 第1号? 西郷隆盛

4人目は意外に思われるかもしれませんが、明治維新の立役者、西郷どんです。


もともとは薩摩藩の下級武士。明治維新で大活躍して新政府の要職につきましたが、まさにこれからというとき、政府内の意見対立が原因で辞表を出し、故郷の鹿児島へ帰ってしまいました。

このとき彼は45歳。僭越ながら、この僕が新聞社を辞めたのと全く同じ年齢でのアーリーリタイアということになります。

その後は鹿児島でしばらく温泉三昧・狩猟三昧の日々を送っていたそうですが、やがて地元の若者に勉強や軍事を教える私学校の運営にたずさわるようになりました。

今ならさしずめ「中小企業社員→大企業役員→田舎の教育ボランティア」コースといったところです。

ただし、西郷どんの場合はご存じの通り、人生の最後にもうひと波乱ありました。

人望の厚かった彼のもとには、明治政府に不満を持つ若者たちが続々と集まり始め、反政府闘争のリーダーに祭りあげられてしまうのです。

こうなったらもう、気ままなリタイア生活なんて送ってられません。西郷どんは再び刀を手に取る決意を固めます。

これって今風に言えば、まさにFIRE卒業!?

しかし、その結果は無残なものでした。


人類最初のFIRE達成者は誰だ?

以上、4人の有名人のFIRE人生を紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。

え、コジツケ?

こんなのFIREとは言わない?

う~ん、正直に言えば、僕も記事を書きながら「シュリーマン以外は苦しいかも…」と思っていました。

やはり、昔の人の場合、「リタイア後も生活費を賄える状態」を構築するのは、かなりハードルが高そうです。

考えようによっては、荘園からの収入で優雅な暮らしをしていた平安貴族とかの方がFIREに近いと言えるかもしれませんが、あれは階級社会の恩恵を受けているだけだし、そもそもリタイアしてないし……。

やはり、資産ゼロに近いところからスタートして努力と工夫で勝ち取ったものこそ、FIREと呼びたいところ。

そういう基準で考えたとき、「人類最初のFIRE達成者」は誰なのか?

どなたか歴史に詳しい方、答えを教えてください。




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コロナ禍のなか、45歳で新聞社を早期退職し、念願のアーリーリタイア生活へ。前半生で貯めたお金の運用益で生活費をまかないながら、子育てと読書と節約の日々を送っています。

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