今回は5月下旬に出かけた8日間の九州旅行の報告です。
僕が4年前に早期リタイアして以降、毎年この季節に、四国の実家に住む母親とあちこち旅行に出かけるのが恒例行事になっているのですが、今回の旅もその一環でした。
僕と母、そして4連休を取って合流した会社員の兄の3人で、阿蘇山や高千穂を見物。さらに母と兄が四国へ帰った後は、僕1人で薩摩半島を訪れ、将来の移住先候補地を物色してきました。
旅先の様子はその都度X(旧Twitter)で実況してきたのですが、せっかくなので備忘録としてこのブログにも旅の記録を残しておくことにします。
旅先で見たこと感じたことをそのまま日記風に書き連ねていきますので、サラサラッと読み飛ばしていただければと思います。
(※どういうわけかPCで僕のブログを見ると、画像がすべてピンボケ気味に表示されてしまいます。ただ、画像をクリックするとくっきりしますので、きれいな風景を楽しみたい方は試してみて下さい。)
5/22(水)本州→四国
旅の起点は本州にある僕の自宅。まずはここから母や兄の住む四国へ向かいます。
無職の僕は時間だけはたっぷりあるので、関西から四国までの移動ルートは海路を選択。神戸港で高松行きのジャンボフェリーに乗りこみました。
(画像をクリックするとくっきり見えます)
神戸ー高松の所要時間は4~5時間。
料金は1990円(土日便や深夜便だと+500円)。
平日の昼便なので船室はガラガラ。無職の特権を味わうことができました。
このフェリーの魅力の一つは、出航直後に神戸港内の造船所を海上から見物できること。この日は三菱重工の造船所で、潜水艦の真っ黒な巨体を発見しました。海上自衛隊の「たいげい型」でしょうか。
(※この画像だけはかなり引き延ばしているので、クリックしてもあまりくっきり見えません)
神戸港を出たフェリーは瀬戸内海を西へ進みます。
ちなみに、僕は四国の実家に帰省するとき、この航路をよく利用します。
船が明石海峡大橋の下をくぐって播磨灘に入ると、周囲の景色は水平線ばかりになるので、いつもこの辺りで船室に寝転がって本を読み始めます。で、そのうち浅い眠りに落ちて、再び目を覚ましたころ、船は小豆島付近まで来ているというのがいつものパターン。ここまでくると高松港はあと少しです。
ちなみに、こちらが小豆島。壷井栄の小説「二十四の瞳」の舞台となった島です。瀬戸内海でも有数の大きな島なので、全体像が写真に納まりませんでした。
そして、こちらの平べったい山が、四国本土と陸続きになっている屋島。「平家物語」の名場面の一つ、那須与一の扇の的で有名なところ。この屋島の向こう側に高松港があります。
フェリーが高松港に着岸すると、乗客は無料バスでJR高松駅まで送ってもらえます。僕はここからさらに電車を乗り継ぎ、この日の夜に実家に到着しました。
5月23日(木)四国→別府
実家に1泊した翌朝、母・兄・僕の3人で九州へ向かって出発。愛媛県の八幡浜港からまたまたフェリーに乗って豊後水道を横断します。
八幡浜―別府の所要時間は2時間50分。料金は4200円。
神戸―高松フェリーより距離は短いけど料金は高めです。
(画像をクリックするとくっきり見えます)
こちらが出航直後のフェリーから眺めた八幡浜の街。恐らく、晴れていたら真っ青な海と空、そして緑濃い山々に囲まれた街並みを見ることができたと思いますが、残念ながらどんより曇っていました。
この日も平日なので船室はガラガラ。母が用意してくれた弁当と八幡浜名物のじゃこ天を食べながら、船室でゆっくりくつろぎました。
船はやがて、四国から九州に向かって一直線に伸びる佐多岬半島の先端にさしかかりました。写真中央の島のように見えているのが、その先っちょです。
四国と九州との間が最も狭まっているこの辺りは潮流が速いことで知られ、古来、「速吸瀬戸」(はやすいのせと)と呼ばれてきました。現在は「関アジ」や「関サバ」の漁場としても有名です。
フェリーが別府港に着岸した後はJR別府駅前にある別府ステーションホテルにチェックイン。源泉かけ流しの大浴場を堪能しました。
別府ステーションホテル
5月24日(金)阿蘇
さあ、今日から九州観光の始まりです。
午前6時半にホテルの朝食バイキングで腹ごしらえし、レンタカーで県境を越えて今回の旅の第一の目的地である熊本県の阿蘇山へ。
まずは外輪山の頂上付近にある大観峰展望所から、カルデラの中心に鎮座する阿蘇五岳を一望します。
どうです、この雄大な眺め。
個人的には、五岳のうち最も左側に見えるギザギザ頭の根子岳がお気に入り。山梨・長野県境にそびえる八ヶ岳を連想させるシルエットです。
外輪山のなだらかな稜線が、カルデラの底に向かってストーンと落ち込んでいる景観もなかなか見応えがあります。
さすがに阿蘇随一の絶景スポットとあって、この展望所にはバイクツーリングの一団や外国人客を乗せた観光バスがひっきりなしに訪れていました。
それでは外輪山を下り、阿蘇パノラマラインを走りながら阿蘇五岳を間近に見に行きます。
とにかく、このあたりは牧草地が多い。馬や牛によく出会います。
こちらは米塚という奇妙な形の山。
そして、こちらが阿蘇五岳の懐に抱かれた草千里浜。
写真の真ん中付近を歩いているゴマ粒のような2人組が母と兄です。ぜひ写真をクリックしてご覧ください。
それにしても、なんというだだっ広さ。僕はこの景色を見て、2年前にやはり母と訪れた北海道の帯広地方を思い出しました。
こちらは火口から噴煙をあげる中岳。手前に見えるピンク色の花はミヤマキリシマです。
本当は火口の縁まで行って中を覗いてみたかったのですが、残念ながら僕らが阿蘇を訪れる9日前に福岡管区気象台から噴火警戒レベル2の
火口周辺警報が発表され、半径1キロ圏内に立ち入りできなくなっていました。なので遠くから噴煙を眺めるのみです。
さて、僕らがこの日チェックインした宿は、南阿蘇村の山里にある「栃木温泉 旅館 朝陽」。夕食までに少し時間があったので、周辺を散策してみたところ、宿から歩いて20分ほどのところに見事な滝がありました。
いや~、これは絶景です。
どうやら滝へ通じる道はないらしく、ここから渓谷越しに眺めるしかないのですが、落差といい、水量といい、滝壺の形といい、なかなかの風格。何より周囲に人工物が全くないのがいい。
ところがこの滝、「鮎返りの滝」という名はあるものの、さほど有名な観光スポットではないみたいです。
一応、展望ポイントに案内板が立てられていましたが、周辺は雑草に覆われて荒れ放題。地元の観光パンフレットでもほとんどスルーされていて、訪れる人もあまりいないようでした。これほど見事な滝がほぼ無名の状態で埋もれてるんだから、九州って奥が深いですね。
少し話が脱線しますが、僕がこれまでの人生で目の当たりにした滝の中のナンバー1は、奈良県の奥地にあるこちらの滝です。(滝壺に立っているのが若い頃の僕です)
こちらの滝も周囲に全く人工物がなく、手つかずの自然の中に存在しています。しかも、獣道のような登山道をかなり歩かないと辿り着けない場所にあるため、訪れる人が少なく、辺りにはゴミ一つ落ちていませんでした。
(※この写真を見て滝の名前を答えられる人はかなりのマニアでしょう。一つだけヒントを書いておくと、この滝は僕の大好きな小松左京のSF小説「本邦東西朝縁起覚書」に登場します。)
話を戻すと、今回見た鮎返りの滝は、これに次ぐ人生史上ナンバー2クラスの滝と言っていいと思います。
さて、滝から宿へ戻る途中、僕たちは1匹のヘビの死骸を発見しました。
僕は当初、この模様を見て「マムシじゃないのか?」と思ってXに投稿したのですが、フォロワーさんから寄せられた情報によると、どうやらシマヘビの子供だったようです。シマヘビと言えば縦じま模様がトレードマークですが、幼蛇は全く違う模様になっているとのこと。
なんにせよ、豊かな自然が残る趣のある土地でした。
この夜も宿の大浴場で温泉を満喫。夕食もおいしかったです。
栃木温泉 旅館 朝陽5月25日(土)高千穂
今日も午前6時半に旅館の朝食バイキングで腹ごしらえして、レンタカーで阿蘇の伏流水が湧きだしている白川水源を訪問。
この湧水でのどを潤し、ペットボトルにも詰めた後、県境を越え、「神話の里」として知られる宮崎県高千穂町へ向かいました。
高千穂で最初に訪れたのは、古事記や日本書紀に描かれた天岩戸(あまのいわと)神話の舞台になったと言われる天岩戸神社。太陽神アマテラスが機嫌を損ねて洞窟に閉じこもったため世の中が真っ暗になってしまったという有名なお話です。
ここでは神社の遥拝所から渓谷の対岸にある御神体の洞窟跡を拝観しましたが、残念ながら撮影禁止だったので写真はありません。
そこから少し渓谷を遡った場所にあるのが天安河原(あまのやすがわら)。洞窟にこもったアマテラスをどうやって外におびき出そうかと、神々が相談した場所だと言われています。
ご覧のように、こちらもちょっとした洞窟になっていて、内部には参拝者が願い事をしながら重ねた石積みがびっしり。
ん? これとよく似た景観を前にも見たような気がするぞ……と思っていたら、そうだ!
日本が誇るもう一つの神話の里、出雲。
その海岸に口を開けた海食洞窟「加賀の潜戸」(かがのくけと)の中にある「賽の河原」(さいのかわら)にそっくりなんだ、と思い至りました。
今から14年前、まだ幼かった子供たちを連れて島根半島の海岸でキャンプし、ついでに立ち寄った時の写真がこれ。
こちらの洞窟でも至る所に石が積み上げられていました。
ちなみに、この賽の河原は幼くして世を去った子供たちの魂が集まると言われているところ。石積みにはその供養の願いが込められています。
信仰の意味合いは異なるけれど、日本人というのは昔から、こういう奥まった場所に石を積み上げて祈りを捧げるという宗教的傾向を持った民族だったんだろうな、と感じました。
さて、次はいよいよ大本命の目的地、高千穂峡です。
この日は土曜だったため、周辺の駐車場は大混雑。ようやく空きを見つけて車を止め、遊歩道を下ってゆきます。
すると見えてきました、大地に深く切れ込んだ渓谷が。
渓谷に沿って歩き続けると、旅行雑誌の表紙などでお馴染みのあの景観が目に入ってきました。
柱を寄せ集めたような形状をした垂直の岩壁と、そこからサラサラと流れ落ちる「真名井の滝」。う~ん、やはり神々しい。(観光客が多すぎるのがやや難点だけど…)
滝の周りには、これもお馴染みの手漕ぎボートが行きかっています。もちろん、僕も旅に出る前に貸しボートを予約していました。
ただし、これがメチャクチャ高い。なんと1艇当たり30分5100円(定員3人、平日なら4100円)!
恥を忍んで告白すると、これを予約するかどうか、僕はかなり迷いました。
だって、仮に1人でボートを利用した場合、神戸ー高松フェリー(1990円)に2回乗るよりも高くつくんですよ。普段の僕なら絶対に見送っていたと思います。
しかし、今回は貴重な家族旅行。そして僕らの人数はちょうど3人。「せっかく天下の高千穂峡まで行くんだから、名物の貸しボートに乗らない手はない」と清水の舞台から飛び降りるつもりで決断したわけです。
ちなみに、貸しボートのネット予約受付は利用日の1カ月前からでした。驚いたことに、僕がちょうど1カ月前の日の昼過ぎにネットで予約手続きをしようとしたところ、なんとその時点で早くもほぼ満杯状態になっていました。
いやはや、凄まじい人気ぶりです。焦った僕は、かろうじて空きが残っていた一番遅い時間帯(午後4時~4時半)を慌てて押さえたのでした。
ところが、九州旅行に出発した後で、貸しボートを予約していることを母に伝えると、70代半ばの母はすっかり尻込みして「私はいろいろ心配だし、途中でトイレにいきたくなりそうだからボートはやめておく」と乗りたがらない。これは思わぬ誤算でした。
何とか翻意させようと直前までいろいろ説得を試みたのですが、母の意思は固く、結局は僕と兄の2人だけでボートに乗ることになりました。まあ、これはこれで楽しかったんだけど……。
とりあえず、こちらがボートから撮影した高千穂峡の風景です。
なお、滝の直下はボートが密集しがちで、ボート同士でゴツンとぶつかることが何度もありましたが、お互い「失礼」「ごめんなさ~い」と声をかけあって楽しく時間を過ごすことができました。
さて、この日の宿泊先は、天岩戸神社の近くにある民宿「天和」(てんほう)です。
民宿天和
夕方にチェックインして近くの入浴施設「天岩戸の湯」でひと風呂浴び、宿の主人の手作り料理を味わった後は車で高千穂神社へ。目的は神楽見物です。
ここ高千穂町は「高千穂の夜神楽」で有名な土地。毎年11月~2月の農閑期に各集落の民家や公民館で地元の男性たちが夜を徹して神楽を舞い続ける伝統があるのですが、現在は観光客のために、それ以外の季節でも高千穂神社の神楽殿で一部の演目が毎晩上演されています。
こちらも事前のネット予約が必要で拝観料は1人1000円。もちろん僕も旅行前に予約しておきました。
予定の午後8時より20分ほど早く神楽殿を訪れると、すでに会場はほぼ満員。外国人観光客も興味津々といった様子で見に来ていました。烏帽子姿の男性が高千穂神楽の概要を面白おかしく説明した後、味わい深い笛の音にあわせて舞いが始まります。
披露された演目は、天岩戸神話を再現した手力雄(たじからお)の舞や、イザナギ・イザナミ夫婦の浮気話をコミカルに演じる御神体の舞など4種類。酒に酔ったイザナギが観客に抱きつき、妻のイザナミが客に嫉妬するという演出もあって、場内は笑いに包まれていました。
ちなみに、日本舞踊などが好きな母は約1時間の公演を見終えて、「音楽も舞いも最高やった。今回の旅行の中でこれが一番良かったわ~」と大感激していました。
5月26日(日)高千穂
いよいよ九州旅行も大詰め。会社員の兄は月曜から仕事があるため、この日が3人旅行の最終日となります。
夜明け前に早起きして民宿の周辺を散策してみました。
いや~、さすが神話の里。おとぎ話の世界に迷い込んだかのような神秘的な朝でした。
高千穂といえば、高千穂峡や天安河原といった観光スポットがあまりにも有名ですが、個人的には、斜面にへばりつく集落や棚田など〈日本の原風景〉ともいうべき山里のたたずまいが非常に味わい深いと感じた次第です。
町内をドライブしていると、こんなのどかな風景にも出会いました。
そして、こちらが標高513mの国見ケ丘(くにみがおか)から見下ろした高千穂の街の全景。まるで箱庭を鑑賞するかのように神話の里を一望することができました。
この後、僕たちはレンタカーで県境を越えてJR熊本駅へ。母と兄はそこから新幹線で四国へ帰っていきました。
一方、僕はさらに南へ下って鹿児島県へ。ここからは将来の移住先候補地を探す一人旅となります。