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今回は久しぶりに本の紹介です。
取りあげるのは、宝探し小説の古典的名作「ソロモン王の洞窟」(King Solomon’s mines)です。
僕は昔から埋蔵金伝説とか財宝伝説とかいったものが大好きで、4年前に新聞社を早期退職してからはヒマにまかせて古今東西の宝探し小説を読み漁ってきました。その中には初めて読む作品もあれば、子供のころに読んだ記憶をたぐりながら再読した作品もあります。
で、昔読んだ小説を再読してみると、「あれ、子供のころはすごく面白かった記憶があるけど、大人になって読み返したら大したことないな」とガックリする作品と、「え、この本ってこんなに面白かったっけ? あの頃の俺は全然わかってなかったんだな」と感心する作品に見事なまでに二極化します。
今回紹介する「ソロモン王の洞窟」はまさに後者の代表格。イギリスの作家ヘンリー・ライダー・ハガードが1885年に発表した名作中の名作です。
では、あの映画のルーツは何だろうと宝探し物語の歴史を遡っていくと、19世紀の英国で発表された「ソロモン王の洞窟」に行き着く、というのが僕の持論です。
古代の歴史書に記された伝説的な宝を求めて砂漠や密林に分け入り、危険なトラップが仕掛けられた洞窟の奥で宝を発見する――――という冒険譚の定番パターンは、この小説によって確立されたと言っていい。いわば「インディ・ジョーンズの源流」とでも位置づけるべき作品なのです。
と、前置きが長くなってしまいましたが、さっそく内容を紹介していきましょう。
なお、記事の後半では、財宝伝説マニアの僕が拙い世界史知識をフル動員してこの小説の歴史設定を検証していく予定です。その関係で、前半の内容紹介がかなり事細かくなってしまっておりますのでご容赦下さい。
古代イスラエル王国の隠し鉱山
小説の舞台は、大英帝国が世界に覇権を誇っていた19世紀後半のアフリカ大陸。主人公は南アフリカ東岸のナタール州ダーバンに住む、55歳の英国人狩猟家アラン・クォーターメン。物語は、彼がそれまでの人生で何度か耳にしたソロモン王の財宝にまつわる噂話の紹介から始まります。
最初の噂は、彼が20代だったころ、マタベレ州(現在のジンバブエ西部)で知り合ったエヴァンスという男の口から聞かされました。
エヴァンスはアフリカの現地人の伝説を集めて、この大陸の歴史を調べようとしている人物でした。ある夜、クォーターメンが彼に、かつてアフリカ奥地で見つけた金鉱山の話を披露したところ、エヴァンスは「そうかね、じゃあもっと奇怪なことを教えてやろう」と前置きして、アフリカの奥地である廃都を見つけたという話をしてくれました。彼はその廃都を、旧約聖書に出てくる「オウフア」(ソロモン王が黄金と宝石を手に入れたと記されている場所)だと信じ込んでいました。
さらにエヴァンスは「マシュクルンベ州の北西部にサリマン山脈というのがあって、そこが旧約聖書に出てくるソロモン王の鉱山があったところなんだ」と言い出しました。その鉱山はダイヤモンド鉱山で、サリマンというのはソロモンのアラビア語訛りなのだというのです。
エヴァンスによると、彼は以前、マニカ州(現在のジンバブエ東部~モザンビーク西部辺り?)の年老いた女呪術師から「サリマン山脈の向こう側にズールー族の一派が住んでいる。その中に、かつて世界が暗黒だったころ白人から習ったという偉大な魔法使いがいて、輝く石の鉱山の秘密を握っている」という話を聞いたことがあるそうです。
クォーターメンはこの話を眉唾物だと笑い飛ばしましたが、それから20年後、彼は再びこの伝説と再会することになります。
クォーターメンがマニカ州の向こうのシタンダ部落という土地で狩猟をしていた時、たまたまホセ・シルヴェスターというポルトガル人に出会いました。彼は「また会うことがあったら、わしは世界一の金持ちになっているだろう」と言い残して砂漠を西へ旅立っていきました。
ところがその1週間後、シルヴェスターはガリガリにやせ細って砂漠から戻ってきました。彼は砂漠の彼方に見えるサリマン山脈を見つめながら、クォーターメンに古地図を託して息絶えました。
「これは私の先祖ホセ・ダ・シルヴェストラが書いたものだ。彼は今から300年前、それまで白人が足を踏み入れたことがなかったあの山の中で、死ぬ間際にこれを書いた。それを彼の奴隷が持ち帰って、私の家にずっと伝わってきたんだ。わしはこれを読んだために命を落とすことになったが、きっと誰かが成功するだろう」と言い残して。
その地図にはこんな文章が記されていました。
それでもクォーターメンはこの話を信じませんでした。
ところがさらに10年後、彼はトランスヴァールの北のバマングワトという土地で、ネヴィルという英国人が現地人の猟師を連れて探検に出かけてゆくところに出会います。
クォーターメンは顔見知りのこの猟師と立ち話をして、彼らがサリマン山脈の向こうへダイヤモンドを探しに行こうとしていることを知りました。
それは与太話だと忠告するクォーターメンに対し、猟師は「わしはそこから子供を連れてナタールへ逃げてきた女から話を聞いたことがあるんだ」と言い残して出かけて行きました。しかし結局、彼らはそのまま行方不明に。その2年後、クォーターメンはネヴィルの兄である英国貴族ヘンリー・カーティス卿から「弟の捜索に同行してほしい」と依頼され、破格の報酬を提示されます。
クォーターメンはここに至って、ついに、ソロモン王のダイヤモンド鉱山を探す旅に出かける決意を固めるのでした――――。
作品に漂う帝国主義時代の空気
誤解を恐れずに言えば、この小説の最も秀逸な部分は、この冒頭部分だと僕は思っています。
事実か与太話かよくわからないけど、とにかく気になるアフリカ奥地の財宝伝説。しかも、その財宝というのが、旧約聖書に記された有名なソロモン王の隠し鉱山ときた。これだけで話の先が気になって仕方なくなります。
さらに言えば、ここで示された数々の伝聞情報の中には、のちのち重要なカギとなる伏線がいくつも引かれていることが後でわかってきます。僕のような財宝伝説マニアにとって、このうえなく魅力的なプロローグです。
ただ、僕も含めた大多数の日本人はアフリカの地理に不案内なので、これだけ読んでも物語の舞台がアフリカ大陸のどの辺なのかがよくわからないと思います。これだと物語を最大限楽しむことができないので、地図を見ながら補足しておきましょう。
まず、主人公クォーターメンの自宅があるのは、南アフリカ東岸の都市ダーバン。彼が、ソロモン王の財宝を求めて探検に出発するネヴィルを目撃したのはトランスヴァール州の北側(南アフリカとジンバブエが接している辺り)。また、彼がエヴァンスから最初にソロモン王の財宝伝説を聞かされたのはマタベレ州(ジンバブエ西部)。こうしてみると、目指す財宝の所在地がアフリカ中西部の内陸であるらしいことが何となくわかってきます。
さらに小説の記述を追うと、クォーターメンたちはダーバンから1000マイル以上の旅をして「ルカンガ河がカルクエ河に合流するあたりに位置するシタンダ部落(ホセ・シルヴェスターが息絶えた場所)」へ至り、そこから砂漠を西へ横断してサリマン山脈へ向かったことになっています。
このルカンガ河というのは、現在のザンビアの首都ルサカの北方にあるルカンガ沼沢地に流れ込む川だと思われます。Google地図を拡大すると、付近に「Chitanda」というそれっぽい町があることも確認できます。
なので、あえて現代の地図上にソロモン王の隠し鉱山の位置を比定するなら、ザンビアの西部辺りということになるでしょうか。
ところが、現代のアフリカ地図をいくら凝視しても、ザンビア西部にサリマンと呼ばれる山脈や広大な砂漠は見当たりません。このあたりはハガードの創作なのか、あるいは、彼が小説を発表した1880年代当時、この辺りはまだ地図の空白地帯だったのかもしれません。
それでは話を物語に戻しましょう。
この後、クォーターメンやカーティス卿らの一行はシタンダ部落から灼熱の砂漠を横断し、極寒のサリマン山脈の洞窟で300年前に息絶えたホセ・ダ・シルヴェストラの亡骸を発見。さらに山脈を越えて伝説の国「ククアナ」へ到達するのですが、この辺りの詳しい行程は省略します。
問題はここからです。
白人として300年ぶりにククアナ国に足を踏み入れたクォーターメンたちは、ソロモン街道の起点で迷信深いククアナ族に出会うのですが、銃の威力を見せつけて彼らを驚かせ、自分たちを「星の住人」だと信じ込ませて、首都ルーの街へ案内させます。
そこで一行は、国民を好き勝手に虐殺しまくっている暴君ツワラ王の圧政を目の当たりにして義憤に燃え、長年国外に亡命していた前王の遺児イグノシに助太刀してクーデターに参加。激しい内戦の末、ツワラ政権を打倒してククアナ国に平和をもたらす――――。
とまあ、粗筋をなぞっているだけでウンザリしてくるぐらい「原住民の野蛮さ」と「英国人の騎士道精神」が強調された物語が展開されます。
でも、これって冷静に眺めれば、後進国の内政に軍事介入して親英政権を樹立させ、そこを足掛かりにして現地の富を収奪するという大英帝国のお家芸です。なるほど、19世紀の英国人というのは、こういうふうに大義名分を唱えながらアジア・アフリカを植民地化していったのか、と妙に納得してしまいます。
もっとも、大日本帝国だって東アジアで似たようなことをやってきたわけだから、あまり偉そうなことは言えませんが。なお、この小説の中に「人間の価値は肌の色とは関係ない」といった趣旨のセリフもあるところを見ると、当時のヨーロッパ人の中ではハガードは割と進歩的な思想の持ち主だったと言えるのかもしれません。
まあ、このへんは「19世紀に書かれた小説だから」と思って割り切ることにしましょう。ここを過ぎたら、いよいよクライマックスの宝探しです。
魔女ガグールの強烈すぎるキャラ
クォーターメンたちは新王イグノシの許可の下、いよいよソロモン街道の終着点にあるダイヤモンド鉱山へ向かうことになります。
案内役は、ツワラ政権を陰で操っていた妖怪のような老婆ガグール。そう、ホセ・ダ・シルヴェストラが遺書の中で「裏切られた」と言及していた、あの魔女ガグールです。
ただし、シルヴェストラがククアナ国を訪問したのは1590年、つまりクォーターメンたちの時代より300年ほど昔の話です。常識的に考えたら、この老婆と同一人物であるはずがない。
ところが、このガグール、イグノシ王に対して「わしの年齢を知っておるのか? わしはそなたの父も知っているし、その父の父の、そのまた父も知っておるぞ」とうそぶくなど、とらえどころがありません。
はっきり言って、この小説の終盤は、このガグールという奇々怪々なキャラクターの独壇場。内戦に敗れて囚われの身になってしまっているにも関わらず、その謎めいた言動で主人公たちを振り回し続けます。
さて、クォーターメンたちが宝探しへ出発する前に情報収集したところによると、その鉱山には「沈黙の像」という太古の石像があり、その近くに、ククアナ国の歴代の王を葬った「死者の住家」と呼ばれる洞窟があるそうです。
そこには歴代の王とガグールしか知らない「秘密の部屋」があるらしいけど、その部屋の中に何があるのかは不明。ただ、ククアナ国の伝説によると、昔、山を越えてやってきた白人の男が、1人の女の案内で秘密の部屋に入り財宝を見せられたといわれています。
しかし、彼は宝を手に入れる前に女に裏切られ、当時の王によって山の中へ追いやられたとのこと。それ以来、その部屋に入った者はいないというのです。
この辺りで読者はだんだん話が見えてきます。
なるほど、その白人というのが1590年にククアナ国を訪問し、「ソロモン王の洞窟で無数のダイヤモンドを見た」と書き残したホセ・ダ・シルヴェストラのことでしょう。彼は遺書に「魔女ガグールに裏切られた」と書き残していたが、ククアナ国でも同じような話が語り継がれていたわけです。
洞窟の奥で主人公らを襲った悲劇
以上のような情報を事前に仕入れたうえで、クォーターメンたちはついにダイヤモンド鉱山へ赴きます。そこには古代人が建造したと思しき像がそびえ、すぐ脇に深さ約100mのすり鉢状の採掘鉱が口を開けていました。
ガグールの案内で一行が像の背後の絶壁に設けられたアーチ型の門に入ると、中は広大な鍾乳洞になっていて、その奥にエジプト神殿のような「死者の住家」がありました。
ここではなんと、歴代のククアナ王たちの遺体が、天井から落ちる水滴に打たれながら鍾乳石と化していました。さしずめ、ククアナ版「王家の谷」といったところでしょうか。
目指す「秘密の部屋」へ続く通路の入り口は、この「死者の住家」の奥にありました。ガグールがその場所に立つと、どういう仕掛けか岩壁の一部がシャッターみたいにゆっくりとせり上がって、暗い穴がぽっかり口を開きます。まさに古代の自動昇降扉です。
ここでガグールは意味深なセリフを吐きます。
この言葉から以下の「歴史」が推測できます。
すなわち、現在のククアナ族は、ダイヤモンドを採掘してこの地下施設を建設した古代人(ソロモン王の家来?)の文明を継承していないらしい。この古代人は地下施設にダイヤを隠した後、何らかの理由でこの地を去り、それからかなりの年月が経過してから、アフリカ系のズールー族の一派がこの土地にやってきてククアナ国を建国した――――ということになります。
そして1590年、ヨーロッパから初めてこの地に足を踏み入れたポルトガル人のホセ・ダ・シルヴェストラが、ククアナ族の間に伝わる財宝の噂を耳ざとく聞きつけたというわけです。
ガグールはさらにこんな言葉を口走ります。
なるほど。どういう経緯かわからないけど、シルヴェストラはククアナ国の女と一緒にこの洞窟に入った。女はそのとき偶然、隠し扉を開く方法を発見した。そして2人で秘密の部屋に入り、男は皮袋にダイヤを詰め込んだが、部屋を出るころになって「何か」が起きた。
後にサリマン山脈で息絶えたシルヴェストラは「裏切られた」と書き残しているが、今目の前にいる老婆ガグールによると、彼は何かに驚き、皮袋を放り出して逃げたのだという。一体、彼は何に驚いたのだろう……。
そんな疑問を残しつつ、物語は進みます。
一行が自動昇降扉の下をくぐって通路を奥へ進むと、ガグールの言葉通り、床に山羊の皮袋が落ちていました。やはり、シルヴェストラと一緒に秘密の部屋に入った女というのは、このガグールなのか。あるいは、ガグールという同じ名前を代々襲名する魔女たちが語り継いできた内容を、この老婆がさも自分自身の体験のように語っているだけなのか……。
結論が出ないまま、一行はついに秘密の部屋に足を踏み入れます。
クォーターメンたちがその部屋で見たものの内容は、あえてここには記さないでおきましょう。それから、一行を襲った悲劇と絶望についても……。
どうしても気になるという方は、どうぞ本書を手に入れてじっくり読んでみてほしいと思います。
科学では説明がつかない謎
ただ、ここではその代わりに、物語の中の後日談を一つ紹介しておきます。
この宝探しの顛末についてクォーターメンたちから報告を受けたイグノシ王は、歴代の王に仕えてきた老臣を傍らに呼んで「お前が子供だった頃、ガグールは若かったのか?」と尋ねます。すると老臣は「いいえ、いまと同じように老年で、ひからびていて、非常に醜く、邪悪に満ちていました」と答えました。
この証言によって、彼女が300年前から生きていたという話が、にわかに真実味を帯びる結果になったのです。
とまあ、こんな感じで、最後の最後に科学では説明がつかないミステリーを残して物語は大団円を迎えるのですが、この宝探し部分、今読み返しても本当にスリリングで面白い。
そして、この記事をここまで読んでくれた方なら、「この小説こそインディ・ジョーンズの源流なのだ」という僕の主張にも同意してくれるのではないでしょうか。
それは単に物語の題材や筋立てが似ているというだけでなく、結末部分で「人智を超えた存在」を読者にほんの少し垣間見せるという、オカルト要素のさじ加減までそっくりなんです。
(※ただし「インディ・ジョーンズ」シリーズのうち、このさじ加減を踏襲しているのは、1作目の「レイダース 失われた聖櫃」から3作目の「最後の聖戦」まで。4作目の「クリスタル・スカルの王国」はオカルト要素を混ぜ込みすぎて、宝探し映画としての魅力が失われてしまったように僕には思われます。)
なぜソロモン王の隠し鉱山がアフリカに?
さて、この小説を読み終えた多くの人はこんな疑問を抱くことでしょう。
「なぜ、ソロモン王の鉱山がアフリカ中西部のザンビア辺りにあるの?」
「この設定、かなり無理があるんじゃない?」
誠にもっともなご指摘です。
ご覧の通り、古代イスラエル王国があった地中海東岸のパレスティナ地方と、アフリカ中南部に位置するザンビアはめちゃくちゃ遠い。直線距離で5000キロはあります。
僕も小学生時代に初めてこの小説を読んだときは、まだ地理や世界史の知識がなかったから何の疑問も持たなかったけど、大人になって読み返したときはかなりの違和感を覚えました。
なぜ、ハガードはこんなぶっ飛んだ設定にしたのでしょうか?
その答えを探るため、改めてソロモン王の財宝伝説について調べてみることにしました。
ソロモン王の富の源泉「オフィル」
ソロモン王とは、賢王との呼び声高い古代イスラエル王国の第3代国王です。彼が王位についていた紀元前10世紀ごろ、王国は「ソロモンの栄華」とたたえられるほどの最盛期を迎えたといわれています。
旧約聖書によると、彼がエルサレムに建設したソロモン神殿の内部は隅々まで純金で覆われ、祭壇、机、燭台、皿といった祭具類も純金製。とにかく何から何まで キンキラキンのゴージャスな神殿だったそうです。
(※ちなみに、この神殿の中心に祀られていたのが、映画「レイダース 失われた聖櫃」にも登場する有名な「契約の箱」、いわゆるアークです。)
もちろん、豪華だったのは神殿だけじゃありません。旧約聖書によると、ソロモン王の宮殿にあった象牙の玉座もやはり金で覆われ、宮殿で使われた食器類も純金製。さらに純金の大盾を200、小盾を300作らせて宮殿に置いていたそうです。
こうした旧約聖書の記述を読むと、多くの人は「一体どこから、そんなに大量の金を入手していたの?」と不思議に思うことでしょう。
ソロモンの時代には、シバの女王をはじめ多くの周辺国がソロモン王に貢ぎ物を納めたと旧約聖書に記されていますが、貢ぎ物だけでこんな大量の金を保有できるとはとても思えません。ここに「ソロモン王はどこかに隠し鉱山を所有していたのではないか」という伝説が生まれてくる下地があるわけです。
そんなことを考えながら聖書を読み進めてみると、誰もがある個所で目が釘付けになります。それがここ。
オフィル!
このオフィルこそ、後の時代のヨーロッパ人たちが「ソロモン王の隠し鉱山があった場所なんじゃないか⁉」と考えた土地なんです。
(※「ソロモン王の洞窟」の冒頭に出てくるエヴァンスが話していた「オウフア」というのも、多分このオフィルのことだと思われます。)
ところが、欲にかられたヨーロッパ人たちが、どれほど目を皿のようにして旧約聖書を読み込んでみても、このオフィルが具体的にどこにあるのかは書かれていません。今回僕も目を皿にしてオフィルに関する聖書の記述をたどってみましたが、やはり場所を特定するような箇所は見つかりませんでした。
オフィルとは言ってみれば、邪馬台国とか、エルドラド(南米にあるといわれた黄金郷)とか、シャンバラ(中央アジアにあるといわれた理想郷)とか、アトランティス(大西洋にあったといわれた幻の大陸)とかみたいな「所在不明の土地」なわけです。
オフィルはどこに? 諸説紛々
ただ、手掛かりはあります。
さきほどの旧約聖書の記述によると、ソロモン王は葦の海の岸辺にあるエイラート付近から船団をオフィルへ派遣したそうです。
葦の海というのは、アフリカ大陸とアラビア半島に挟まれた紅海のこと。エイラートは紅海北端のアカバ湾に面したイスラエル最南端の港町です。
つまり、ソロモン王の家来たちはこのエイラート付近から海路でオフィルに向かったということになります。
ということは、常識的に考えれば、オフィルの所在地は、紅海やアラビア海に面したアラビア半島やアフリカ北東部の沿岸である可能性が高い。現在の国名で言えば、サウジアラビア、イエメン、オマーン、エジプト、スーダン、エルトリア、ジブチ、ソマリアといったあたりでしょうか。
しかし、昔のヨーロッパ人はオフィルはもっと遠方にあると考えました。
ナショナルジオグラフィック社が2015年に出版した「絶対に見られない世界の秘宝99」という書籍によると、2世紀の地理学者プトレマイオスはパキスタン辺りだと考え、15世紀のジェノヴァ出身の探検家コロンブスは一時、カリブ海に浮かぶハイチがそれだと考えました。
そして17世紀、英国の詩人ジョン・ミルトンは著書「失楽園」の中で、オフィルの所在地をアフリカ東岸のモザンビーク辺りだとしました。
ここでもう一度、アフリカ地図を見てもらいましょう。
ご覧の通り、モザンビークと「ソロモン王の洞窟」の舞台になったザンビアは隣同士。
このことからわかるように、19世紀の作家ハガードにとって、オフィル(ソロモン王の隠し鉱山があった土地)をザンビア付近に比定することは、先人たちの説と比べても、それほど突飛なことではなかったのです。
ちなみにハガードには、若いころ、ナタール州総督の秘書として南アフリカに駐在していた経歴があります。その間、積極的に奥地へ出かけ、現地人の言葉、風俗、伝説などを熱心に研究していたそうです。
恐らく、この時期に現地で耳にした様々な伝説と、旧約聖書に記されたオフィルの伝説とを結びつけ、彼はこの小説の構想を練りあげていったのではないでしょうか。
古代フェニキア人のアフリカ1周
それにしても、コロンブスといい、ミルトンといい、なぜヨーロッパ人たちは、ソロモン王の隠し鉱山の場所を、これほどパレスティナから遠く離れた場所に求めたがるのでしょうか?
僕は当初、キリスト教徒である彼らは、単に旧約聖書に登場する古代イスラエル王国の実力を過大評価しているだけなのではないかと思っていました。けれど、よくよく調べてみると、それなりに根拠はあるらしい。その根拠とは、さきほど紹介した旧約聖書の記述の中のこの一文です。
ヒラムというのは、当時、ソロモン王と友好関係にあった地中海東岸のフェニキア人都市ツロ(ティルス)の王。その彼が、配下の船乗りたちをソロモン船団に同行させたと記されているのです。
高校時代に世界史を習った人ならなんとなく覚えていると思いますが、フェニキア人といえば、優れた航海技術で地中海沿岸のあちこちに植民都市を建設した海洋民族です。実は、彼らは古代においてアフリカ大陸を1周していた可能性さえあるのです。
古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの著書「歴史」にはこんな話が記されています。紀元前600年ごろ、エジプトの王ネコスが配下のフェニキア人に対しアフリカ大陸1周を命令。彼らはこれに応え、船団を組んで紅海からアフリカ東岸のインド洋を南下し、大陸の最南端を回って大西洋へ出て、やがて「ヘラクレスの柱」(ジブラルタル海峡)から地中海に入り、出発から3年目に無事エジプトへ帰還した――――。
ヘロドトスが記したこのアフリカ1周航海を史実と見なすべきかどうかは、現代の歴史家の間でも意見が分かれているそうですが、もし史実なら、1488年のポルトガル人探検家バルトロメウ・ディアスの喜望峰到達より2000年以上も早い大偉業ということになります。
そして、これほど航海技術に長けたフェニキア人の協力があったのなら、紀元前10世紀のソロモン船団がアフリカ中南部まで到達していても不思議ではないというわけです。
う~ん、当初はぶっ飛んでると思っていた「ソロモン王の洞窟」の内容が、こうしてみるとなかなか説得力のある設定に思えてきました。
しかし、それでもなお、僕の中にはこの小説の設定に対する違和感が残ります。それは、ソロモン王の鉱山をダイヤモンド鉱山として描いている点です。
ダイヤモンドか黄金か
ダイヤモンドの産地と言えば、現代では南アメリカ、コンゴ、ロシア、カナダ……と世界各地の名前が挙がりますが、これはあくまで現代の話です。
歴史好きの人ならご存じかも知れませんが、17世紀以前の世界ではダイヤモンドの産地といえばインドだけでした。つまり、中世以前の世界史に登場するダイヤモンドって、基本的には全てインド産なんです。
(※例外的にインドネシアのボルネオ島でもごく少量のダイヤが産出していたと言われていますが。)
従って、もしも古代イスラエル王国がアフリカ奥地でダイヤモンドを採掘し、富の源泉としていたのであれば、世界史の常識を覆す新事実ということになってしまいます。
まあ、小説だからそれはそれでいいのだけど、さきほどから見てきたように、旧約聖書の「ソロモンの栄華」で強調されているのは、純金の豊富さです。純金に覆われた神殿や玉座、純金の食器、純金の盾……といった具合に。
だから、ソロモン王の隠し鉱山というものがもし本当に存在するのだとしたら、それはやはり金鉱山のはずだろうという思いがどうしてもぬぐえません。
ではなぜ、ハガードはソロモン王の鉱山を金鉱山ではなくダイヤモンド鉱山として描いたのか?
ここからは僕の想像になりますが、恐らく、19世紀後半に南アフリカで巻き起こったダイヤモンドラッシュの影響があるんじゃないかと思います。
「ソロモン王の洞窟」の発表に先立つこと19年前の1866年、イギリスの植民地だった南アフリカのオレンジ川流域で農夫の子供が「光る石」を発見。これが皮切りとなってダイヤの原石や鉱床が次々発見され、大規模な採掘が始まりました。
ハガードが総督秘書として南アフリカに赴任したのは1875年ごろだから、まさにこのダイヤモンドラッシュをリアルタイムで目の当たりにしていたことになります。一攫千金を狙って現地に集まってくる人々の熱気から多大なインスピレーションを受け、彼は「アフリカ奥地にソロモン王のダイヤモンド鉱山が隠されている」というアイデアを思いついたのではないでしょうか。
さらに言えば、もう一つ、ハガードが影響を受けたとみられる当時のトピックがあります。それは1868年に現在のジンバブエ(ザンビアの南隣)で発見されたグレートジンバブエ遺跡です。
これは講談社が発行した「世界の冒険文学 ソロモン王の洞窟」(1998年)の巻末解説で大衆文学研究家の会津信吾氏が指摘していることなのですが、当時のヨーロッパの考古学者たちは、古代のフェニキア人がソロモン王と親交のあったシバの女王の神殿をまねて、グレートジンバブエの巨大な石造物を築いたのではないかと考えていたというのです。
(※その後の研究によってグレートジンバブエの本当の建設者は、アフリカの現地人であるショナ人だったことが明らかになっています。)
なるほど、そう考えたらいろいろ合点がゆきます。
ハガードの小説の中で「沈黙の像」やダイヤモンド採掘鉱を見たカーティス卿が「これはフェニキア人の作品ではないか」と推測する場面が出てくるからです。ソロモン王の財宝なのに、なぜヘブライ人ではなくフェニキア人なんだろうと、僕は不思議に思っていたんですが、こういう背景があったわけか。
というわけで、現代人の立場からすると一見荒唐無稽に映る「ソロモン王の洞窟」の設定も、ハガードがこの作品を発表した19世紀後半の状況をよくよく考えると、最先端のニュースや学術的知見に基づく説得力のある作品だったことがよくわかります。
というわけでハガードさん、いろいろ見当違いのケチをつけてしまってすみませんでした。やはりこの作品は、宝探し小説史上に燦然と輝く不滅の金字塔だと思います。