朝日新聞・南彰記者の「絶望メール」を読んで

2023/11/10

新聞業界

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去る11月6日、文春オンラインが配信した1本の記事が、マスコミ関係者の間で注目を集めています。

「今の朝日新聞という組織には、絶望感ではなく、絶望しかない」名物記者が退職日の夜に送った衝撃メール

かつて新聞社で働いていた身としては、とても他人事とは思えない悲壮な内容だったので、今回はこのメールに対する僕の感想を書くことにします。



去りゆく名物記者の経営陣批判

まず、文春記事の内容をさらっと紹介しておくと、朝日新聞の政治部記者として長年活躍してきた南彰さんという40代の名物記者が、この10月末に 朝日新聞を退職し、111日付で沖縄県の琉球新報に移籍した。その彼が退職日の夜、朝日の社長や専務、そして 多くの社員に宛てて「退職のあいさつ」と題したメールを送ったのだが、そこに経営陣への痛烈な批判がつづられていた――――というのです。

ちなみに、僕がまだ新聞業界で働いていたころ、南さんは新聞労連(各新聞社の労働組合の連合体)の委員長をしていました。だから、個人的な面識はないけれど彼の存在は知っていました。また、彼が書いた記事や著書を何度か読んだ経験から、権力とは決して癒着しない尊敬すべきジャーナリストだという印象を以前から抱いていました。


その南さんが会社を辞めるにあたって経営陣を痛烈に批判したというのだから、これはただ事ではない――――というのが僕の気持ちです。

で、文春記事は彼の長大なメールの中から話題性の強そうな部分をいくつかピックアップして紹介していたのですが、僕はどうしても全文を読みたくなって色々探してみました。すると、「In Fact」というネットメディアがこのメールを入手して全文公開していたので、これをじっくり読んでみました。

管理強化で「自由な気風が失われた」

興味のある方は是非、この全文を読んでほしいのですが、ごく大雑把にまとめると、南さんはこのメールで、朝日新聞にはかつて、ライバルの読売新聞にはない自由な気風があったけど、近年は会社による社員の管理強化が進んで、そうした朝日らしさが押しつぶされてしまったと主張しています。




その一例として、朝日新聞社が最近打ち出した社員の社外活動ルールの変更(出版などの表現活動に会社による事前検閲を事実上義務付ける)を挙げ、「自由を簡単に手放す集団は、市民が自由を奪われていくことへの感度も鈍る」と一刀両断。確かにこれは、経営陣に対する痛烈な批判と言っていいでしょう。

さらに南さんは、こうした経営が何年も続いた結果として、権力批判をする記者を冷笑するような管理職が跋扈する組織になってしまったと、生々しい実例を挙げて指摘しています。




率直に言って、鋭い苦言だと思いました。

新聞業界から離れてすでに3年半が経ち、完全な部外者になってしまった僕ですが、かつて 「自由を重んじる報道機関」だと目されていた朝日新聞が、徐々に変質しつつあるという印象は様々な報道を通して感じていました。

例えば、朝日新聞社を退職してガーシー本「悪党」を出版した元ドバイ支局長に対して「在職中に取材した情報を他に漏らすな」と抗議したり(詳しくはこちら)、新聞協会賞の受賞歴もある現役社員の出版活動に会社がストップをかけたり(詳しくはこちら)。



そう言えば、つい最近も、朝日新聞の別の現役記者がアフリカ特派員時代に取材したテーマを「太陽の子」というノンフィクション作品にまとめて集英社から出版し、新潮ドキュメント賞を受賞するという「明るいニュース」がありましたが、その受賞式で記者が「今回私は力不足もあって、このテーマを所属組織で発表することができませんでした」と挨拶するという、部外者からすると「朝日新聞はどうなってんだ?」と首を傾げるような出来事がありました。( 詳しくはこちら) 


「選択定年」を選ばないという驚くべき選択

南さんの退職には、こうした会社の現状に対する抗議の意味が込められているのだと思うのですが、僕が個人的にびっくりしたのはメールの末尾付近にあった次の一節です。

今回の退職は、あと半年待って、「選択定年」などの有利な条件で会社を離れる選択肢もありましたが、それでは本気度が伝わらないと思いました。これは、はかないけれど、朝日新聞が生まれ変わることを願った投資です。

ジャーナリズムのあるべき姿を熱く語ったこの長大なメールの中で、この部分に注目する僕は下世話な人間なのかもしれません。でも、南彰という一個人の人生を考えるうえで、ここは非常に重要な部分だと思うので、あえて僕が耳にした情報も交えつつ解説させてもらいます。

公開されているプロフィールによると南さんは1979年生まれだから、恐らく現在44歳。あと少し待って45歳の誕生日を迎えてから退職すれば、朝日社内の選択定年制度が適用されて退職金が大幅に増額されるのではないかと思われます。

推測するに、その差額は500万円とか600万円とかいったレベルではないでしょう。

なのに彼は、「そんな辞め方じゃ、今の経営陣、ひいては朝日で働き続ける全ての人々に、自分がどれほど本気で生まれ変わってほしいと願っているかが伝わらない」という理由で、本来もらえるはずの割増退職金を事実上辞退しているわけです。

正直、凄い決断だなと思いました。

同時に「なんてもったいないことを……」とも思いました。

我が身を振り返ると、僕が新聞社を早期退職したとき、頭の中にあったのは「いかに多くの割増退職金をもらって、その後の人生における経済的不安を取り除くか」という一点だけでした。

もちろん、今も昔も自分が勤めていた新聞社には愛着があるし、かつての記者仲間たちには頑張り続けてほしいと願っていますが、退職時にそんなことを考える余裕なんて全くありませんでした。

でも世の中には、自分の退職金の額よりも、新聞の将来やジャーナリズムの未来の方がずっと気にかかるという奇特な人間がいるんです。

まあ、「仕事がしんどい、自由になりたい」と悲鳴をあげてドロップアウトした僕なんかとは退職理由が根本的に違うから、そもそも比較すること自体失礼なわけですが……。

尊敬できる記者は、なぜか居場所を失った

それにしても、なぜ、日本の新聞社はこういう人をもっと大事にしないのでしょうか。

僕自身の記者時代を振り返っても、ジャーナリストとして心から尊敬できるような先輩たちは、取材の現場で一定期間活躍した後、年齢を重ねるにつれてなぜか社内で居場所を失い、閑職に追いやられたり社を去ったりするケースが多かった気がします。

会社って結局そういうものなのか。それがサラリーマン社会の宿命なのか。でも、このままじゃ日本の新聞は本当にオワコンになっちゃうよ……。

南さんの悲痛なメールを読みながらそんなことを考えました。

どうか、沖縄の地で健筆をふるって下さい。応援しています。


〈追記〉

こちらは南さんの最新の著作(2024年4月出版)です。


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コロナ禍のなか、45歳で新聞社を早期退職し、念願のアーリーリタイア生活へ。前半生で貯めたお金の運用益で生活費をまかないながら、子育てと読書と節約の日々を送っています。ただいま49歳。

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