元朝日新聞ドバイ支局長と古巣のプチバトル~「悪党」を読んで

2023/05/20

新聞業界 読書

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今回は最近読んだ本について書きます。

今年3月に出版された「悪党 潜入300日 ドバイ・ガーシー一味」(伊藤喜之著・講談社)。暴露系YouTuberとしてドバイを拠点に日本の芸能人らのスキャンダルを暴きまくり、参院議員になってしまったガーシーこと東谷義和氏に密着したノンフィクションです。(※本書発売後に参院議員は失職)


すでにネットなどで話題となっている通り、ガーシーの経歴や人脈、そして参院選出馬の裏側まで描いた面白い本なのですが、僕が最も興味を引かれたのは著者の伊藤さん自身でした。

というのも、彼は元朝日新聞記者。ドバイ支局長時代に取材・執筆したガーシーのインタビュー原稿がボツになったことで会社を辞め、フリーになってこの本を出版したところ、古巣の朝日新聞社から厳重抗議を受けたというのです。

元新聞記者としては当然、そのあたりの経緯に強い関心を抱いて本書を手に取りました。ですから今回は、ガーシー云々というより、この本の出版をめぐる伊藤さんと朝日新聞社とのプチバトルに焦点を絞って考察してみようと思います。




原稿がボツになって退職

それではまず、この本が出版されるまでの経緯を記しておきます。

本書によると、伊藤さんは2008年に朝日新聞に入社し、大阪社会部などでキャリアを積んだ後、2020年にドバイ支局長に就任。その2年後、暴露系ユーチューバーとして日本で話題になっていたガーシーがドバイにいるらしいという、当時まだ一般に知られていなかった極秘情報を独自ルートでつかみました。そして、本人に接触して密着取材の了承を取り付けることに成功します。

ところが、その1ヶ月後、彼が満を持して執筆したガーシーのインタビュー原稿は、東京本社のデスクに「東谷氏の一方的な言い分ばかりで載せられない」と判断され、ボツになってしまいます。

この判断に納得できない著者は「紙の部数も年々激減している新聞メディアでは事なかれ主義がかつてなく蔓延している」と失望し、会社に退職願を提出。その後はフリージャーナリストとしてドバイに残り、引き続きガーシーへの密着取材を続けてこの本を出版したというわけです。



いや、すごい。

そのうち作家として独立したいという希望は前々から持っていたそうですが、38歳の若さで思い切りよく実行するというのは、なかなか真似できることではありません。

不掲載の判断は妥当だったか

さて、ここで考えてみたいのが、インタビュー原稿をボツにしたデスク判断の妥当性です。本書には問題のインタビューが掲載されているので、それを読んで僕なりに考えてみました。

まず言えることは、このインタビュー原稿は決してガーシーの言い分を一方的に垂れ流した内容ではない、ということです。

ガーシーの詐欺疑惑やギャンブル依存症についても質問を重ね、「カジノをするお金が欲しかった」「すごく反省しています」といった言葉も引き出しています。政治家や芸能人にほとんど不都合な質問をしない提灯記事のようなインタビューが新聞紙面にあふれている中で、極めて真っ当な内容だと思いました。

このあたりのことは伊藤さんも著書に書いているし、週刊誌の取材に対しても主張しています。(詳しくはこちら

ただ、インタビューの不掲載を決めたデスクの判断が明らかに間違っていたかと言うと、そこは微妙な問題だと思います。

というのは、このインタビューが執筆された2022年5月中旬の時点で、ガーシーがNHK党から参院選出馬を打診されていることがネット上ですでに話題になっていたからです。実際、ガーシーは5月30日にオンラインで出馬会見を開き、622日公示の参院選に立候補。このあたりの事情を考えると、デスクの判断にはそれなりの理由があったと言わざるを得ません。

選挙関係者の間でよく使われる言葉に「悪名は無名に勝る」というのがあります。たとえ悪名であっても知名度のある候補者は、名前を知られていない候補者よりはるかに有利だという意味合いです。

だから、参院選を間近に控えたこの時期に、比例代表選挙の新顔立候補予定者のインタビューを全国紙が掲載すれば、それが多少本人に厳しい内容であったとしても、選挙戦で著しく有利に働く可能性が高い。このことは報道機関として認識しておく必要があります。

しかもこの場合、NHK党が最初から話題性狙いでガーシー擁立に動いていることは誰の目にも明らか。このタイミングでインタビューを載せれば、たとえ朝日にその気がなかったとしても、結果的にNHK党のPR戦略に利用されたという批判は避けられないでしょう。

以上のような理由でインタビューを掲載しないという判断が下されたのだとすれば、それが「事なかれ主義」なのか、あるいは「良識」なのか、人によって意見が分かれるところだと思います。

もし僕がデスクならどうするか?

非常に悩ましいところですが、恐らく、「ここまで公示が迫っている以上、選挙前の掲載はいったん見送り、当選後(あるいは落選後)に改めて選挙結果に対する本人の感想も加えて、更新したインタビューを掲載してはどうか」と提案したのではないかと思います。(それで著者や取材先が納得するかどうかはわかりませんが……)



というわけで、ガーシーインタビューの不掲載問題に関しては、どちらが正しくてどちらが間違っていると一概に断定するのは難しい、というのが僕の見方です。

厳重抗議への違和感

しかし。

この本の出版後に朝日新聞社が取った対応には、正直言って違和感を覚えました。著者と講談社に対する厳重抗議のことです。

これについて朝日はわざわざ公式サイトに告知を載せ、抗議したことを広報しています。それによると、この本には「本社が著作権を有する原稿や退職者による在職中の取材情報の無断利用、誤った認識や憶測に基づく不適切な記述など」が含まれているのだそうです。

このうち「本社が著作権を有する原稿」というのは前述のインタビューのことでしょう。

ボツにしたんだから別にいいんじゃないという気がしないでもありませんが、公式サイトは「退職者が在職時に職務として執筆した記事などの著作物は、就業規則により、新聞などに掲載されたか未掲載かを問わず、本社に著作権が帰属する職務著作物となり、無断利用は認めていません」と主張しています。

なるほど、ボツ原稿でも勝手に使っちゃいけないルールになっているのか……。

さらに読み進めると、今度は「在職中の取材情報の無断利用」についてこう主張しています。

「本件書籍の記述には、伊藤氏が在職中に取材した情報が多数含まれます。これらの情報は、本社との雇用契約における守秘義務の対象です。就業規則により、本社従業員は業務上知り得た秘密を、 在職中はもとより、退職後といえども正当な理由なく他に漏らしてはならないと定められています」

う~ん、ここまでくると、さすがにやりすぎじゃないかという気がしてきます。

確かに新聞社には、情報提供者の身元や取材対象者の個人情報など絶対に外部に漏らしてはいけない秘密がたくさんあります。万一漏洩したら報道機関としての信用を失ってしまうといっても過言ではありません。

また、そこまでいかなくても、朝刊夕刊の最終締切時刻や選挙情勢調査の分析方法などライバル社に知られたくない企業秘密もたくさんあります。

しかし、この本を読んだ限り、こういった秘密が不用意に明かされているような場面は見当たりません。てことは、記者として見聞きしたことは内容の如何に関わらず一切口外するなということなんでしょうか……。

OBの会社批判が怖い?

それにしても一体なぜ、朝日はここまで過剰に反応するのか?

想像するに、その原因は、著者がインタビュー不掲載の経緯を説明したくだりで「紙の部数も年々激減している新聞メディアでは事なかれ主義がかつてなく蔓延してる」などと社の現状を批判的に論評したところにあるような気がします。

ちなみに、このくだりがある章のタイトルは「朝日新聞の事なかれ主義」。恐らく講談社の担当編集者が考えたものだと思いますが、このあたりに過剰反応の理由がありそうです。

また、不掲載に至る経緯そのものについても見解の相違があるのでしょう。そのあたりが「誤った認識や憶測に基づく不適切な記述」という文言に現れているように思われます。

振り返ればここ数年、「最後の社主」(樋田毅著・2020年・講談社) 、「朝日新聞政治部」(鮫島浩著・2022年・講談社) と、朝日新聞のOBたちが社の体質や経営陣を批判した本を相次いで出版し、話題になりました。一方、朝日社内では近年リストラが進められ、ベテラン記者たちが大量に早期退職しています。

こうした事情を考えれば、今後、会社にとって不都合な発言をするOBOGがますます増えるのではないかーーーー。そんな心配にかられた経営陣が、伊藤さんの批判的論評を「会社への敵対行為」とみなし、他のOBOGへの牽制の意味もこめて過剰反応したのではないか、と僕は想像しています。

でも、新聞記者が退社後に本を出版することなんて朝日に限らずよくある話ですよね。

記者時代の苦労話や取材の裏話をつづった回顧録から、記者時代の取材テーマを退社後も追い続けて完成させたノンフィクション作品まで形態は様々ですが、 こうした本にはほぼ例外なく在職中の取材情報が含まれています。

これまで新聞社は、OBOGがこうした本を出すたびにいちいち抗議してきたでしょうか。僕の記憶では、むしろ逆に(会社批判がなければ)紙面で紹介することさえあったと思います。

そもそも、記者時代の取材情報を口外することが一切ダメだというのなら、新聞記者はいったん会社を辞めたら最後、キャリアに関わる文章をほぼ書けなくなってしまいます。ここまでくると就業規則を盾に取った言論統制でしょう。


新聞社の事情で報道されなかった事実が、そのまま封印されてしまうのではなく、異なるメディアを通して人々の目に触れるーーーー。これってむしろ、世の中の風通しを良くするという意味でも、国民の知る権利に応えるという意味でも、健全なことじゃないでしょうか。

ていうか、そもそも朝日新聞って、そういう風通しの良さを尊ぶリベラルな論調が持ち味だったのでは?

なにはともあれ、世の新聞社には、個人の情報発信に対してもっと大らかであってほしいと願っています。僕も記者出身のブロガーですから。


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コロナ禍のなか、45歳で新聞社を早期退職し、念願のアーリーリタイア生活へ。前半生で貯めたお金の運用益で生活費をまかないながら、子育てと読書と節約の日々を送っています。

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