吉田調書「スクープ」炎上事件の真相~「朝日新聞政治部」を読んで

2023/01/21

新聞業界 読書

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今回も最近読んだ本の紹介です。

取りあげるのは「朝日新聞政治部」(2022年、講談社)。

2年前に朝日新聞社を早期退職した鮫島浩さんという元新聞記者の回想録なのですが、これがめちゃくちゃ面白かった。もう一気読みでした。

 朝日新聞が燃えあがった年

かつて新聞業界で働いていた僕には、どうしても忘れられない年があります。

2014年。

そう、日本を代表する新聞の一つである朝日新聞が、「ダブル吉田ショック」と呼ばれる二つの誤報スキャンダル(従軍慰安婦問題の吉田証言報道・福島第一原発事故の吉田調書報道)で火だるまになった年です。


著者の鮫島さんは、このうち吉田調書報道の当事者だった人物です。

当時、朝日新聞特別報道部のデスクとして取材チームを統括し、記者が書いた原稿を整え、スクープ記事として世に送り出す役割を果たしました。

そして処分され、編集部門から外され、7年後の2021年に社を去りました。

そんな彼が、政治部を中心に歩んだ27年間の記者人生を振り返り、特に2014年の出来事(吉田調書報道とその後の炎上、社長会見によって記事が取り消されるまでの社内の動き)を克明に綴ったのが本書です。

当時抱いた「取り消し」への違和感

だから、いやがおうでも注目してしまうのは吉田調書報道の話です。彼の見解をごく大雑把に要約すると、こんな感じです。 

・確かに表現が不十分で説明不足だった点はある。しかし、記事そのものを取り消すような誤報ではなかった。

・それよりも失敗だったのは、第1報の後で説明不足を補う記事を掲載するといった危機対応ができなかったことだ。 

こう書くと、「いまさら何を言い訳しているんだ」と感じる人がいるかもしれません。実際、ネット上にはそういった声もみられます。

でも、少なくとも僕には、著者の主張は至極まっとうで説得力があると感じられました。

 実は2014年、朝日新聞の木村伊量社長(当時)が記者会見を開いて、吉田調書について報じた記事そのものを取り消すと表明したと聞いた時、僕は「え、なんで?」と驚きました。

あの時の違和感は今でもはっきり覚えています。



なぜ、違和感を抱いたのか。

この問題の経緯を大雑把に整理するとこうなります。

 

   2011年の福島第一原発事故で現場対応にあたった東京電力の吉田昌郎所長(2013年死去)が、政府の事故調査委員会に対して証言した内容を記録した非公開の公文書(吉田調書)を、朝日新聞が入手した。

   この調書によって、事故発生数日後に吉田所長が東電社内のテレビ会議で、第一原発の所員に「第一原発構内で待機するように」と命じたが、現実には所員の9割(約650人)が10 km 離れた第二原発へ退避していたことが明らかになった。

   この事実をもとに、朝日新聞は「吉田所長の待機命令に違反して9割の所員が現場を離脱した」と報道した。

 

およそこのような流れです。

これに対し、週刊誌やネット上で「吉田所長の命令が所員全員に伝わっていたとは限らないのだから、命令違反とは言えないのではないか」「所員らを不当に貶める報道ではないか」といった批判が巻き起こったわけです。

要するに、吉田所長が所員らに第一原発内での待機を命じたのは事実。

所員らが第一原発から撤退したのも事実。

従って、結果的に所長命令と異なる行動を所員たちがとっていたというのも事実。

しかし、これを「命令違反」と断じるのはいきすぎだ、という話なんです。

だから普通に考えて、朝日新聞が謝罪して取り消すべきなのは「命令違反」という表現についてだろう、と僕は思っていました。

もちろん、「いきすぎた表現だけでも大きな過失だ」と言われればその通りかもしれません。

しかし、それ以外の事実関係についていえば、東電と政府が国民の目から隠してきた事故当時の危機的な状況を極秘文書をもとに暴いたわけだから、特筆すべきスクープであることに変わりはない。その功績は正当に評価されるべきだと今でも思っています。

ところが、木村社長はあっさりと誤報だと認め、記事全体を取り消すと表明したのものだから、違和感や疑問を覚えたわけです。

でも、当時の世の中はそんな雰囲気ではありませんでした。あのころは慰安婦報道問題の影響で、日本社会は「朝日はけしからん」「反日新聞だ」「売国だ」という空気一色に染まっていました。(ネットの世界は今もそんな感じですね)

そんな空気の中でも「吉田調書報道の記事取り消しはさすがにやりすぎだろう」と冷静に指摘するジャーナリストもごく少数いましたが、圧倒的な朝日バッシングの嵐の中でその声はかき消されてしまいました。

なぜスクープは葬られたのか

あれから8年余り。

この本を読んで、あの時抱いた疑問に対する一つの答えが示されたような気がします。

当時の朝日新聞はダブル吉田ショックに加え、池上彰氏のコラム掲載拒否問題というスキャンダルも抱えていました。

「慰安婦報道に関する朝日新聞の対応は遅きに失した」「誤りを認めたのに謝罪がないのはおかしい」という趣旨の指摘をした池上氏の連載コラムを、朝日新聞が上層部の判断で掲載しなかったという話です。

著者によると、これら三つのスキャンダルのうち、最も木村社長自身の責任が問われると認識されていたのは池上コラム問題。(※社長自身が内容に激怒したことによって不掲載方針が決まった)

その次に社長との関わりが深かったのが慰安婦報道問題。(※社長就任早々、長年の懸案だった吉田証言に関する記事の取り消しに向けて動いていた)

逆に、最も社長の関与の度合いが薄かったのが吉田調書報道の問題だったそうです。

そのうえで筆者は、当時の会社幹部たちの言動をもとに推理します。

木村社長が会見で吉田調書報道を真っ先に取り上げて謝罪し、結果的に記事そのものを取り消したのは、この問題に批判を集中させることによって、池上コラム問題や慰安婦報道問題への批判をやわらげる意図があったのではないか、つまり、吉田調書報道は木村社長の影響力維持のために人身御供にされたのではないか−−−と。

この推理が当時の木村社長、あるいは朝日新聞上層部の思惑をどこまで的確に言い当てているのか、内情を知らない僕には判断がつきません。

ただ、本書に生々しく記されている幹部たちの言動や、当時の安倍政権による周到かつ執拗な朝日バッシングなどを踏まえれば、さもありなんという印象を受けます。

少なくとも、吉田調書問題で象徴的に「潔い姿勢」を示すことで、一連のスキャンダルをまとめて収束させたいという意図が働いた可能性は高いのではないでしょうか。




記事が取り消された後、著者を含めて吉田調書報道を手がけた記者たちは処分され、ネット上で「捏造記者」などというレッテルを貼られ、社を去る者も出ました。

印象的だったのは、その後の筆者の行動です。

現場に責任を押し付けるかのような上層部の姿勢に憤り、いっそのこと辞表を叩きつけて記者会見を開き、あらいざらいぶちまけてやろうかと一度は考えます。

しかし、そこではたと気づく。

自分はSNSの個人アカウントさえ持っていない。いくらジャーナリストを気取っても、会社に依存しなければ何も発信することができないじゃないか、と。

以来、筆者はサラリーマンとして雌伏の時を過ごしながらTwitterを始め、早期退職とともに「SAMEJIMATIMES」というニュースサイトを開設。当時の上層部の対応を告発しつつ、現在も政治報道やメディアウオッチを続けています。

危機に陥った組織の中で人間はどのように動くのか、組織の意思決定の前では個人はいかに無力な存在か――――。そんな人間ドラマを嫌というほど見せつけられるとともに、組織から独立した立場を築くことの大切さを教えてくれた1冊でした。


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コロナ禍のなか、45歳で新聞社を早期退職し、念願のアーリーリタイア生活へ。前半生で貯めたお金の運用益で生活費をまかないながら、子育てと読書と節約の日々を送っています。

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